はじめにその女に興味を持ったのは、4月くらいのことだ。
神足の姉は、校内でも有名な美人でファンも多いという3年生の神足静だ。その妹が同じクラスにいるということを聞いたとき、はじめて興味を持った。
妹の神足瑞希は、姉のように美人の顔ではなかったが、かなり目鼻立ちが整った可愛い顔をしていた。
容貌で特徴的なのはクリクリした大きな目だ。髪の毛はポニーテールにしていることが多い。ポイントは、肌のきめがクラスの誰よりも細かく、ニキビひとつないことだろうか。
なるほど、可愛い。
・・・それはそうなんだが、俺が神足を好きになるようなことはなかった。
なぜかといえば、神足はクラスの中でいつも黙っていて輪に溶け込むことがなかったからだ。神足というのは、ただ黙って、みんなについていっているだけの大人しい性格の生徒だった。
相当に可愛いその顔立ちから、神足に言い寄るヤツも少なくない。だが、なにせ内気で、男子とまともに話もできないのだから、どうしようもない。
言い寄った男子たちは、友達にさえなれずに撃沈していった。
大人しい女なら腕づくで、と強引に関係を持とうとしたようなバカも、ホンの少しだがいたようだ。だが、そういう危ない男に関して神足は用心深く、自分で連中に近寄っていくような愚は冒さなかった。
神足瑞希は、よーくしつけられた小型犬。
そんな評判だった。
ちなみに、神足は四人姉妹なのだという。
ひとりはもう高校一年生で、ひとり暮らしをしているという神足文子(こうたり・あやこ)。噂では、次女の静先輩以上に美しいということだ。
二人目が静先輩。
三人目がウチのクラスの瑞希。
四人目は、小学校4年生の優子で、この子は二人目の静に輪をかけて賑やからしい。ご多分に漏れず可愛いらしく、幼稚園の頃から男の子にモテていたということだ。
とにかくまあ、四姉妹にあって、ウチの神足、要するに瑞希は一番の『はずれ』であると思われていた。
ウチのクラスでの神足の評判は、男女で二分される。
男子からは、可愛いけど彼女にするにはつまんなさそう。
女子からは、自分より可愛いけどまあまあ付き合いやすい子。
女子については、神足は普通に接することができる。容貌がいいので嫉妬もあるようだが、あまり問題にはなっていないらしい。
女子の一部からは、顔は可愛いけど性格ブスだから周りを見下してるに違いない、という意見もあるらしい。ま、これなんかは嫉妬を前面に出した意見だが、こういう意見を出している女子の方が非難されがちだ。
男子の方はといえば、神足は可愛いけど、どうも神足のつれない雰囲気に辟易している、というのが端的な意見だろう。・・・実際には、神足が男子にあまり喋らないだけというだけなのだが、なにしろ内気でうまく会話ができないときている。そういう評判も立って当然だった。
とある掃除の時間、神足と俺がたまたま一緒の班になっていたときに教室のほうき掃除をやったことがある。
班の連中(男女、俺も含めて)が皆掃除を真面目にやらない中、神足は俺たちを無視するようにしてひとりで箒を使っていた。
・・・もちろん、俺たちの方が悪いといえば悪いのだが、そのときの印象は「やっぱり神足は毛色が違うな」だった。
他にも、ごくたまにだが、女子の輪から離れて黙ってひとりで文庫本とかを読んでいることがあったりと、何となく違う行動をとることもある。
神足は、クラス内でよくもわるくも一目置かれた存在ではあった。
ある日のこと。
俺は神足といっしょに日直に当たった。
相方が真面目キャラの神足なので、ほとんど俺は仕事をサボっていたが、日誌を書くのだけは俺がやった。
そして律儀にも、神足は俺が日誌を職員室に返しに行くまで教室に居残っていた。
「・・・お前さあ、日誌くらい独りでできるぜ。帰っとけよ」
神足はそんな台詞にも動じず、俺の隣で黙って立っていた。
こういうときに愛想くらい使えれば、コイツもグッとよくなるんだがな・・・この無愛想ってのはどうにかならないもんかね。
俺はため息を吐いた。
ついでに一言。
「お前のお姉さん? 静さんって言うんだっけ、少しは見習ったら? もうちょい喋るとかあるだろホラ」
どうせ無視されるのだろうとは思ったが、そう言ってみた。
「・・・お姉ちゃんのことは、言わないで」
・・・彼女はハッキリと言い返してきた。
少し驚いて神足の顔を見やる。何も顔からは読み取れない。可愛い顔についた大きな目も、相変わらず無表情に近い。
だが、俺はその目に気圧されるようなものを感じた。
・・・が、神足が自分の言葉に反応したのに気をよくして、調子に乗って畳み掛けてみた。
「ふーん・・・姉貴のことは、気になるんだ。姉貴が羨ましいとか、そんなのあるわけ?」
「・・・関係、ないでしょ」
えらく冷たい物言いだったので、俺も黙った。
そのまま、二人の間に沈黙が続いた。
日誌を返しに行くときも、コイツはついてきた。
腹が立っているならついてこなくていいと思うんだが、きっとそういう性格だろう。
歩きながら、俺はさっきの話を蒸し返していた。
「お前さ、お姉さんが羨ましいなら、もっとしゃべってみないか? 男子相手でも、もっとこう、少しくらい相槌打つとかさ」
「・・・・・・」
俺の余計なお節介にも、神足は黙っている。
今度は、反応さえなかった。
張り合いのない奴、と思いながら俺は職員室の扉を開けた。
扉を開けると、華やかな空気が流れてきた。
「あら・・・、瑞希じゃない!!」
華やかな空気の主は、神足の姉であり、学校で人気の静先輩だった。
「・・・お姉ちゃん」
ウチのクラスの神足も、顔を上げてそう呼びかける。
「もう、学校にいても全然何もわからないし。ちゃんとクラスでやってるの?」
「別に・・・」
「いじめられてるとか、そんなのはないわよね? そんなのだったら、お姉ちゃんが何とかしてあげるからー!」
「・・・・・・」
神足姉はニコニコして妹に話しかけているが、妹はどうも迷惑がっているらしい。ムッとしたオーラがでている。
話しかけても大して反応しない妹に、姉は頬を膨らませた。
「んー? 何よ、文子姉ちゃんの方がやっぱり頼りになるとか、失礼なこと考えてるんじゃないでしょうね??」
「別に・・・」
神足は横を向いた。だが、どうも図星らしく、顔は笑っている。
「あー、ヒドイわもう! お姉ちゃんだってやるときゃやるんだから! いいわよ、ふんだ」
楽しそうな顔で、ドカドカと足音を立てて静先輩は去っていった。
神足は、姉が去っていくと俺の方をチラリと向いて、また無表情になった。
俺も神足の方を向いて、話しかけてみた。
「お姉さん、楽しい人なんだね」
「・・・・・・」
「いつも家でも、あんな感じ?」
「・・・・・・」
何を言っても、神足は黙っていた。
拍子抜けした感じだった。
俺は日誌を戻すと、教室に戻る道を歩いた。もちろん、神足も。
その道すがら、俺はもう一度神足に話しかけていた。
「なあ、さっきの話に出てきた『文子姉ちゃん』ってどんな人なの? そのお姉さんも、やっぱりお前と似てて黙ってるタイプなわけ?」
「・・・・・・別に」
神足はそっぽを向いて、別に、と呟いた。
さっき静先輩にもやっていたが、どうやらこれは神足なりのリアクションらしい。
そう思った俺は、また調子に乗って畳み掛けてみた。
「なんだ、そうなのか。俺はまたテッキリ、お前みたいに黙りこくって可愛くないタイプかと思っ・・・」
「お姉ちゃんを、馬鹿にしないで!」
神足は俺の制服の裾を掴むと、怒鳴ってきた。
「お姉ちゃんを、馬鹿にしないで」
眉を逆立てて怒鳴る神足。
童顔で可愛らしい顔立ちだが、普段静かなだけに迫力がある。
「お姉ちゃんを、馬鹿に、しないで!」
大声で怒鳴っている神足に、俺は固まっていた。
何とか自分を取り戻すと、俺は少し震える声で喋った。
「ああ・・・わ、悪かったよ」
それを聞くと、神足は制服の裾を離した。
俺は、掴まれて皺がよった裾をはたいた。皺は、少し残った。
神足はいらだたしそうにこちらを見ると、首を振った。
そして、振り向きもせずにさっさと歩いていった。
さっきの話は、よほど神足のカンに触ったらしい。
怒り方がすごかった。
というより、神足が俺に対して何か表情をみせること自体が珍しくて、俺はポカンとしていた。
次の日以降、神足はほんの少し変わった。
俺にだけ、そっぽを向くようになったのだ。
男子が何をしていても気にならないという態度しかとっていなかった神足だが、俺が視界に入ると少し嫌そうな顔をした。
まあ、そんな変化に気づいたのは俺ひとりらしく、誰も何も言ってこなかったが。
もう一度謝ろうかとも思ったが、俺が近づくだけで嫌そうな顔をする相手では話にもならない。
誰かに、とりなしてもらう必要があるかもしれない。
クラスの連中に頼むと、噂が広まるかもしれないと思った俺は、自分より年上の頼りになりそうな人で、神足に親しい人に頼んでみることにした。
つまり、3年生の静先輩だ。
「すみません、ええと、神足先輩っていうのはこのクラスですか?」
「ん? ああ神足? ほらそこにいるぜ」
「ありがとうございます」
真面目そうなメガネの先輩に聞いてみると、先輩は胡散臭そうな目つきで俺を見てから答えた。
どうも、この先輩も、静先輩のファンらしい。やはり、先輩は人気者だった。
「すみません、僕、1年3組の竹田隼人っていうんですが」
昨日見かけた静先輩に、俺は思いきって話しかけていた。
「ん? ああ〜、昨日、瑞希と一緒にいた子!」
「お、覚えててくれたんですか・・・」
一瞬一緒にいただけなので、顔を忘れられているかと思ったが、ちゃんと覚えていてくれた。
「で、何かしら? 好きになりました〜とか?」
ニヤ、として先輩は笑う。もちろん、冗談のつもりだろう。
「い、いえそうじゃなくて」
ドキドキするほどの美人を前にして、面倒な神足のことなんかほっといてもいいじゃないか、とも思ったが、ここにきたのは別件だ。
「あの・・・妹さんのこと、なんですけど」
そういうと、静先輩は少し表情を真面目にした。
「妹? 瑞希に何かあったの?」
「うーん、何かというか・・・」
俺はかいつまんで事情を話した。
静先輩にとっても、あまり気持ちのいい話ではないはずだったが、先輩は黙って聞いていた。
「・・・ま、瑞希が怒ったのも無理ないわね。あの子、わたしより断然姉さんに懐いてるから。
そのくらい言われたくらいで、瑞希もちょっと怒りすぎのところはあると思うけどね。そのへんは、ゴメンね?
うーんとね、・・・キミが言ってるみたいに、瑞希がもう少し喋ったりした方がいいっていうのも、外れてないと思うのよ? たしかに、文子お姉ちゃんと瑞希って、どっちもチョット静か過ぎるくらい静かなタイプなのよ。『静』って名前のわたしが姉妹の中でうるさいタイプなのにね、ハハハ。
とにかく。それくらいで大声を上げた瑞希も悪いけど・・・キミも、瑞希をからかってそんなこと言ったんでしょ? わたしなんか頼る前に、自分で瑞希にちゃんと謝ったほうがいいわよ」
「はあ・・・なんか妹さんから避けられてるみたいなんですけど、今度はちゃんと謝ります」
神妙に頭を下げる俺に、静先輩はクスクス笑った。
「・・・あの子、怒り出すとずっと怒ってるから怖いわよ。早めに謝った方がいいかもね。
ところで隼人クンだっけ? 瑞希、クラスでちゃんと友達とかいる?」
「え、はい、ちゃんとやってますよ」
俺はそういったが、先輩は難しそうに言った。
「・・・あの子って、自分から人に話しかけないのよ。それに、ホントは話しかけられなくても平気なタイプみたいなの。わたしとは大違いね。
最近は女の子相手ならちゃんと話はできるみたいだけど、それも最近の話なの。男の子相手じゃ・・・未だに無理みたいね。
人から話しかけられても黙ってると思うけど、ちゃんと話は聞いてるから、懲りずに相手してやってね」
「・・・そうします」
「根はいい子だし、顔も可愛いんだけどね〜。その辺がどうも」
「はあ、わかります」
馬鹿に熱心に妹を心配するお姉さん。そんな静先輩に、俺は人間として純粋に好意を持てた。
俺が立ち去ろうとするときも、先輩は念を押した。
「・・・・うまくいえないけどさ、あの子のこと、よろしく」
「わかりました」
俺は、しっかりと返事をした。
勢いで返事したのはいいけど、どうしたものかな。
そう思って教室に帰ってくると、ちょうど神足が出てくるところだった。
またそっぽを向かれるのかと思ったら、俺に向かって真っ直ぐ顔を向けてくる。
「・・・帰ってきたわね、このスカタン」
神足はそう言って俺を睨みつけた。
「よくもお姉ちゃんのところに相談に行ったわね、おかげでメールでからかわれたじゃないの」
「え・・・静先輩、神足にメール送ったのか」
スカタン、と呼ばれたこととかで呆然としていると、神足はさらに文句を言った。
「お姉ちゃんを馴れ馴れしく下の名前で呼ぶな!」
「あー・・・でもなあ、先輩も神足だし、お前も神足だし」
「姉妹なんだから当たり前でしょ。とにかく、来てもらうわ。・・・じっくりお話させてもらうわよ!」
そういうと神足は俺の腕を掴んでグイグイ引っ張っていった。
行き先は中庭だった。
「ほんっとに。余計なことばっっかりしてくれるわね」
神足はぷりぷり怒っている。
「ほんっと、迷惑だから止めてもらえる? 昨日から、どうしてそう、わたしの気に障ることばかりするわけ?」
「いやまあ・・・その、日直のときのこと、悪かったと思ってさ、謝ろうと思ったんだけど、神足さんハリネズミみたいに怒ってるから」
神足はふん、と鼻を鳴らした。
「当たり前でしょ!」
「その・・・あの時も謝ったけど、ホント悪かったよ、ゴメン!
神足さんがそんなお姉さんが好きだって思わずに、なんかこう、好奇心が先走ったというか」
「・・・ふーん」
本当に反省してるの、という目だ。俺はその目を見てさらにかしこまった。
「いや、本当にゴメン、ごめんなさい!」
俺は頭を下げた。
「・・・わかったわよ。あの件に関してはチャラにしてあげる」
「あ、ありがと」
「・・・でもね! 今日お姉ちゃんのところに相談に行ったのはまだ許さないわよ! だいたい、なんでわざわざ、お姉ちゃんのところに行くわけ? わたしだって、ちゃんと謝ってくれればいつまでも怒ってなんかないわよ」
ぎゃあぎゃあ、と神足は言った。
「そ、そりゃあ、神足があんまり冷たい態度なんで気後れして・・・いや、お姉さんの話じゃ、いつまでも怒ってて後が怖いっていう話じゃないか」
「それはいっつもお姉ちゃんが悪いの! だいたい、あの人はルーズすぎるの! いっつもお菓子をわたしの分まで食べるし、部屋は汚いし。部屋を片付けたら、いらないものをわたしの部屋とか妹の部屋においていくし、もうサイアクなのよ。いつまでも怒ってるんじゃなくて、いつまでも怒らせてるのはアッチ」
「そ、そうなのか」
神足は、普段喋らない分を取り返すようにまくし立てた。
「第一ね、あなたもお姉ちゃんにホイホイだまされないでよね。しっかりしてるみたいだけど、ホント、外面だけなんだし!」
「・・・はあ」
俺はいいかげん長い間喋り続ける神足という異常現象に驚きながら、相槌を打った。
「・・・あなたがお姉ちゃんにチクったおかげで、またからかわれるネタが増えたじゃない。どうしてくれんの?」
「いや、そういわれても」
俺が困ったように返すと、神足は目をパチパチさせる。
ようやく自分が無茶を言っているのがわかったのか、そのまま赤くなった。
「ま、まあいいわ・・・別にそれは悪気があったんじゃないんでしょ」
「・・・まあな」
「だったらいいわ。・・・当面は、我慢するしかないわね」
そう言って、神足さんはこめかみ辺りをポリポリと掻いた。
教室に入る間際、俺は神足に言った。
「神足さん、お姉さんと仲良しなんだ」
「そんなわけないでしょ」
ボソリと神足は言ったが、まんざらでもないらしかった。
可愛いじゃないか、と思ってみる。
だが、そんな感想は神足の次の台詞で掻き消えた。
「・・・今日の日直の仕事、わたしの代わりにやってね」
「は?」
「は、じゃないでしょ。昨日、あなたなにもしなかったじゃない。わたしの代わりにやってくれてもいいでしょ」
「ま、まあそうかもしれないけど、何で突然」
「言うつもりはなかったけど、おしゃべりしたついでよ。じゃ、お願いね。黒板消しだけでいいから。今日、日直のパートナーが風邪で休んでたからわたし一人で困ってたの」
手をヒラヒラさせ、少しすまなさそうな顔をして、神足は自分の席に戻った。
みれば、黒板は授業が終わったときと同じ状態で残っている。
俺はしょうがなく、黒板消しを使って黒板を綺麗にした。
教卓の前から見ると、神足が慌てて5時間目の授業の用意をしているのが見えた。
昼休み以後のことなので、5時間目と6時間目の黒板を消しただけで黒板消しの仕事はなくなっていた。
放課後、神足は学級日誌を書いていた。
俺が神足に近づくと、神足は顔を上げた。
「お疲れ様」
「日誌も書いてやろうか?」
ほんの少しの親切と嫌味を言ってやったが、神足は意に介しない。
「日誌は昨日、あなた書いてたでしょ? そこまでしてくれなくてもいいわよ? まあ、それしかしてくれなかったけど・・・」
今日のページの隣に、昨日俺が書いた汚い字が残っている。
自慢じゃないが、俺は学校の書写の授業で5段階評価の2しかつかない。・・・字が汚いといわれても、しょうがないだろう。
日誌の帳面なんか、真面目に書いていないので、普段より汚い字になっていた。
「悪かったな」
「悪いとは言ってないわよ。事実を言っただけ」
「なお悪いぜ」
「ふふ、あなた、おもしろいわね。こんな面白い人、初めて」
神足はクスクスわらった。笑い方は、お姉さんによく似ていた。
「・・・俺もお前がこんなに意地悪とは思ってなかったな」
「なによそれ」
「昨日も聞いたけど、家でもいっつもそんな感じなのか?」
「まあね、これがわたしの・・・『地』っていうのかな? 学校ではあんまりだしてないけど。
でも、なんかあなた、話してて楽しいからつい『地』が出ちゃうのかもね」
そういって、神足はニコ、と笑って見せた。
ドキン、と心臓が鳴った。
「・・・アハ、わたしの笑顔にまいっちゃった?」
「ば、バカなこと言うなよ」
危ないところだった気はするけど。
「そうよね、小説じゃあるまいしね」
そう言って、神足は日誌を持って、立ち上がった。職員室に日誌を返しに行くのだ。
俺も一応、ついていく。
「別についてこなくてもいいんだけど?」
「昨日はお前がついてきただろうが」
「昨日は日直だったからじゃない。あなた、今日日直じゃないでしょ」
「それなら、今日お前に日直の仕事少しやれって言われたんだから、ついていってもいいわけだ」
「・・・あなた、やっぱり面白いわね」
神足はズンズンと歩いていった。
俺も一応、後をついていった。
さすがに今日は誰にも会わずに、職員室に日誌を返してくることができた。
次の日以降、神足はまた少し変わった。
今度の変化は、一応他人にもわかるものだった。
というのは、神足が俺に挨拶をするようになったからだ。俺のことを友達と認識し始めたらしい。
男子の間の空気は微妙に変わったが、俺はとりあえず無視した。
あるとき、神足に頼まれごとをされた。
「竹田君、これ、お姉ちゃんのところまで持っていって」
みれば、それはお弁当箱。
ちなみに、神足は俺の名前をようやく覚えてくれたらしい。
「・・・なんで、俺が?」
「わたしが行くと、3年生がうるさいから。神足の妹だーっ!、て、騒がれるの。竹田君なら問題ないでしょ」
「いや、俺がなんで静先輩のところに弁当を持っていかなきゃいけないんだ? 不自然だろ」
「お姉ちゃんを名前で呼ばないでってば。・・・不自然だろうが何だろうが、恨むんならズボラなお姉ちゃんを恨んでね」
じゃ、いってらっしゃい、と俺は神足に送り出された。
一度行ったことがある静先輩の教室に行くと、先輩は手を振ってくれた。
誰だアイツ、という目で見られたが、俺はとりあえず先輩に弁当箱を渡した。
「瑞希とはうまく行ってるみたいね」
「・・・いや、なんというか、まあ」
「あの子、家でもたまにキミのこと話すのよ。とっても面白いんですって」
「・・・神足のヤツ」
「やあね、『神足のヤツ』って。わたしも神足なのよ?」
「あ、すみません」
「ウソウソ、冗談よ。・・・ま、冗談は置いといて、あの子、キミのことが気に入ったみたいよ。学校のことなんて滅多に喋らないから。
・・・キミも、瑞希のこと、まんざらじゃないんでしょ」
「あー・・・まあ、その」
「がんばりなさいね。あの子も可愛いからね、ウカウカしてると誰かに食べられちゃうかも。今度デートにでも誘ったら? あれで案外初心だから、すぐにOKすると思うし」
「いや、別にそんなんじゃ」
「照れない照れない。じゃ、がんばってね」
・・・神足が『お姉ちゃん』に素直になれない理由がわかったような気がした。
教室に戻ってくると、神足がまたひょっこりと現れた。
俺の方を見て、やれやれ、と首を振っている。
「・・・やっぱりあなたに任せるんじゃなかったわ」
「なんだよ、せっかく持っていってやったのに」
「あなたに任せたせいで、またからかわれたじゃない。だいたい、最近家でいっつも竹田君のことでからかわれてるのよ」
「そりゃ、お前が俺のことを家で話すからだろ」
「たまたま、口が滑っただけよ。それなのに、大げさにとるんだから」
そっぽを向いて拗ねている神足だが、なんというか、それでもやっぱり可愛らしい感じだ。
神足は再び俺を中庭に連れ出し、そこで弁当を食べ始めた。
お姉さんのと同じ弁当箱で、2段になっているヤツだ。
「それよりも! 竹田君・・・、まさかわたしが好きだとか、デートに誘うとか、そんなわけないわよね!」
「いや、まあ・・・どっからそんな話が」
何となくわかる気がするが、あえて尋ねるべきだろう。
「お姉ちゃんよ、お姉ちゃん! 竹田君がそのうち瑞希をデートに誘うだろうから、OKしてあげたらって」
「・・・先輩もお茶目だな」
俺を妹にけしかけるつもりなのか? 悪い気はしないけどさ・・・。
「で、デートには誘うの、誘わないの?」
「・・・何それ? 誘って欲しいわけ?」
「バカ言わないでよ」
神足はそう言っただけで、何も言わなかった。
誘って欲しいのか、嫌なのか、よくわからない。
「でもま、そうだな・・・デートはともかく、買い物くらいなら付き合うぞ」
わざとそういう言い方をしたのだが、神足は首をひねっていた。
「・・・か、買い物なのね? デートじゃないのね?」
「ああ、デートじゃない」
「・・・次の日曜日、付き合って。最近、本屋さんに行ってなかったから」
二人きりで出かけることを普通デートというと思うのだが、そういう発想は神足にないらしい。
それにしても・・・『本屋さん』って、何だろ。
デートの打ち合わせをきっかけに、俺と神足はケータイとアドレスを交換した。
・・・デートの日時、待ち合わせ場所が彼女から通知された以外には、神足からのメールは来なかった。
まあ、彼女のメールアドレスから、なぜか静先輩からの『結構関係が進んでるじゃない』というメールが届いたことがあったが、これは除外していいだろう。
デート当日、俺は15分前から駅前で待っていた。
彼女がやってきたのは、待ち合わせの11時00分00秒だった。1秒の狂いもない。
「定刻どおり、11時ちょうどね。行きましょ」
神足は、ちょうどにやってきた。
服装は、Tシャツにジャケット、ジーンズという格好だ。デートという認識は、きっとないのだろう・・・。
中身がいいので、それでもグッと視線を集めていたが。
俺は、色気の感じられない格好や態度に呆れて文句を言ってやった。
「・・・かわいげのない奴」
だが、神足は唇を尖らせた。
「時間厳守よ。可愛いも、可愛くないもないでしょ」
「・・・そうだな」
今日は『買い物』だったしな。そう思って、俺も諦めた。
彼女がまず選んだのは、予告どおり本屋だった。
しかも、漫画コーナーではなく、文庫本コーナーに単行本コーナー、参考書コーナーというウンザリするようなラインナップだ。
俺も本屋は嫌いではないが、こんなところに来たためしがない。
「・・・なあ、楽しいか」
しげしげと本を見つめる神足に、俺は呆れたような声を出した。
だが神足はそれを聞いて、ギョロリ、とこちらを睨んだだけで、また本に没頭していた。
よほど本が好きらしい。
ちなみに、神足が見ているのはどうやら推理小説のようだ。ハーレクインのような甘い小説ではない。
俺は本屋をウロウロと歩き回る神足に連れまわされ、1時間半もそこで費やした。
正直、占いコーナーくらいならわかるが、その隣の囲碁や将棋のコーナーまで念入りにチェックしているのはなぜなのか、問いただしたい気分だったが、えらく神足が真剣なので口を挟めなかった。
神足は本屋で、赤っぽい『ひらいたトランプ』『火曜クラブ』という本を買ったようだが、俺にはよく分からない。
何か買ったら、といわれたが、マンガ本コーナーに入らなかったので今更そこに入るのも面倒になって、何も買わなかった。
昼は、少し高めのファーストフード店で取った。
神足はその店に入るのは初めてだったらしいが、美味そうに食べていた。
「悪くないわね」
「まあな、値は張るけどな。今日は奢る」
「そう?」
眼を丸くする神足に、俺は嘆息した。
「・・・男と買い物にきたのに、それぐらいさせろよ」
本当は、中学生の分際で人に奢ったりするものではないと思うのだが、今回は特別だ。
「いいだしっぺは竹田君だしね。そうさせてもらうわ」
神足は相変わらずだったが、それなりに俺と買い物に来たことを楽しんでくれているらしい。
俺は前に、一度女子のグループと男子のグループで一緒に出かけたことがある。そのときの女子はえらくつまらなさそうな顔をしていた。
それに比べれば、神足は上機嫌だ。
「午後はどうする? わたし、今日本屋くらいしか行くつもりなかったんだけど」
「・・・お前、薬局とかTUTAYAとか行かないのか? 服を見に行ったりとか、インテリアとか」
「薬局? どうして薬局が出てくるの?」
「いや、化粧品とかさ。こないだグループで女子と一緒に買い物に行ったら、えらく薬局の前で待たされたぞ」
「中学生が化粧もないと思うけどな。化粧って、したほうがいいとおもう?」
神足はそう聞いてきた。
「・・・さあ。神足は、別にいいんじゃないか」
「どういう意味?」
「お姉さんにでも聞けばわかると思うよ」
「ふーん・・・」
神足は今日もなにもつけていないらしいが、それで充分だからだ。
その後、俺と神足はTUTAYAをうろついた。
当然のようにカードを持っていない神足はともかく、俺はDVDを借りて帰った。
「・・・ふーん」
DVDを借りている俺をみて、感心したようにうなっている神足をみていると、先生になったような気分だ。
TUTAYAから出ると、外は夕日が差していた。
雲と夕日が、見事な光景を空に作っていて、俺と神足は少しそれを眺めていた。
「お前さ、ひょっとして、買い物って本屋以外行ったことないのか? お姉さんとかとは行かないのか?」
「うーん、あんまり行かないかな。お姉ちゃん、自分の友達と行くから」
「たまには連れて行ってもらえよ。・・・時代に取り残されるかも?」
俺はそんな風に茶化した。
「そうね・・・今日は楽しかったし、そうしてみるのもいいかもね?」
神足はそう言って、柔らかい微笑をみせた。
そのとき、傾いてきた夕日が雲から抜けて、神足の顔をパッと暖かく染め上げた。
神足の、きめの細かい肌が、一瞬のうちに輝くオレンジ色に染まる。柔和な笑みが、夕日に彩られる。
ドクン、ドクン、と俺の心臓が激しく鳴った。
「・・・? どうしたの?」
不思議そうに、神足が眉をひそめた。
「いや・・・なんでもない」
俺は神足の顔を正視できなかった。
じっと見ていたら、赤い顔を彼女に気づかれてしまっただろうから。
神足と別れた後も、神足のことを考えると胸が泡立つような感覚になった。
あのオレンジ色に染まった、神足の柔らかな微笑み。大きな目も、透き通った頬も、黄金に光る髪の毛の先も、何もかもが忘れられない。
・・・これが、恋なんだろうか?
気になるとか、なんとなくいいと思うとか、今までそんなのが『好き』ってことだと思ってたけど・・・そんなのは、友達づきあいの延長でしかなかったんだ。
本当の恋って、・・・こんなに凄く相手のことを考えて、うれしくなるものなのか・・・。
初めての経験で、俺は恋をしているという気持ち自体に圧倒されていた。
相手が、今までそういうことの対象になりそうもないと思って馬鹿にしていた相手だということも、ちっとも気にならない。それどころか、そんなことを思っていた自分が恥ずかしい。
神足の顔しか、頭に思い浮かばない。
俺は神足にうまく話しかけられなくなった。
顔を見て思い出すのは、あの夕日の当たった瞬間の、優しい笑顔。
それと同じ顔がみえる度に、発作的に嬉しさがこみ上げてくる。
・・・重症だった。
どうしよ、と思う間もなく、神足に言われてしまった。
「最近、変だね。どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「・・・ほんとに変だね」
心配したり、首をかしげたりする様子もたまらない。
こんなに好きになっちゃって、俺、どうにかなっちゃうんじゃないのか?
そう思って数日が過ぎた頃、俺のクラスに客がやってきた。
静先輩だった。
先輩に反応したのは、もちろん神足が先だった。
「お姉ちゃん。どうしたの?」
「ああ、瑞希に用があるんじゃないのよ。こっち」
そういって、先輩は俺の方に向かってきた。
「ちょっと、いいかしらね」
姉妹は考えることが似るのか。彼女も俺を中庭まで引っ張り出してきた。
中庭に到着するなり、先輩は意地悪く笑った。
「妹とは、うまく行ってるかしら」
「あ、ああ・・・はい」
「ふーん・・・デート以来、どうも避けられてるみたいな気がするって、妹から相談されたんだけどね」
「あ、いや、それは」
慌てる俺に、先輩は人差し指を立てた。
「・・・冗談よ。さっき二人を見て、すぐにわかったわ。
キミ、瑞希に惚れたんでしょ? デートのときに」
「・・・・・・そうです」
「フフ、素直でいいわね」
こうしてみると、綺麗系のはずの先輩の顔は、どことなく神足・・・瑞希の方に似ている。姉妹だから、当たり前だが。
だけど、そのせいで先輩の顔もまともにみられない。
「じゃあ、先輩としてアドバイス。
わたしだけじゃなくて、瑞希にも、素直になりなさいね。・・・恥ずかしがってないで、素直になること。
人を好きになるのは、初めてなんでしょ?」
「そ、そうですけど、どうして」
「そんなに真っ赤になって相手の顔も見るのも恥ずかしいって思うのは、最初だけだから」
先輩は少し寂しそうに言った。
「・・・」
「二人目以降は、そんなことにはならないの。ま、それはそれで安心するような、寂しいような、そんな気分だけどね」
「そんな・・・ものですか」
「ま、それはいいでしょ。
とにかく、さっさと言っちゃった方が身のためよ。
見つめてるのも楽しいでしょうけどね。
でも、姉としては妹は不安がってるし、傍から見てる側としても面白くないし、今日にでも告白しちゃって欲しいわね」
クスクスと先輩は笑う。
「で、でも、・・・」
「断られるのが、拒絶されるのが、不安?」
「・・・・ええ」
「断られるのが嫌でたまらないなら、片思いとして満足すればいいわよ?」
「・・・・・・」
それは、嫌だった。
「でも、思いを通じ合わせるのは素敵なことよ。キミも何度か想像してるでしょうけど」
「!・・・・・」
「がんばりなさいね」
「ハイ・・・」
好きな人の姉に激励されるという妙な体験をした俺は、意外とヤル気になっていた。
先輩に思いっきり背中を押された勢いで、俺は神足を放課後中庭に呼び出していた。
何も考えていない。『今日にでも告白しちゃって欲しいわね』なんていわれて、頭のネジが飛んだのかもしれない。
・・・もう、勢いだけの告白だ。
「こんなところに呼び出して、何の用? メールとかじゃ駄目な用件なの?」
中庭に現れた神足は、表面だけは面倒くさそうな様子を装っていたが不快ではないらしい。
それに少し安堵しながら、俺は彼女の問いかけに頷いていた。
「で、どんなことなの?」
「・・・・・・聞いてほしいんだ。
俺、お前のことが好きだ。
・・・つきあって、ほしい」
彼女は、大きな目をさらに見開いていた。
・・・学校を照らすのは夕方の太陽。
あの日と同じように彼女の顔はオレンジ色に染まっていた。
その顔は、驚いた後、固まっている。
それを見て一瞬、神足に悪いことをしたな、面倒をかけさせちゃったかな、という思いが沸いた。
「好き・・・って・・・」
神足は、呟いた。俺は、言葉を重ねた。
「・・・好き、なんだ」
彼女は自分で自分を抱きしめるようにして、眼を閉じた。
・・・どういう、返事をするのか。
不安が走った。
「好きだなんていわれても・・・竹田君のことは、嫌いじゃない・・・でも、どうすればいいか、わからない」
「俺のことは、嫌いじゃない?」
「初めは、・・・あんまりよく思ってなかったけど。今は優しいから」
「・・・俺のこと、好きか・・・?」
「わからない・・・」
ある程度、予想した答えだった。・・・正直に言えば、少し落胆した。
「でも、ただの友達よりは、好き、かも。
・・・そういう風につきあうなら、つきあっても、いいかも・・・」
「じゃあ、・・・そういうのなら、いいの?」
「・・・うん」
恥ずかしそうに、神足は俺を見ていた。
俺もきっと、神足からみれば恥ずかしそうにしていたと思う。
痛いほどに強い夕日が、神足と俺を照らし出した。
ここに、俺たちだけしかいない。そんな強い錯覚を覚えていく。
二人はお互いの顔を見詰め合っていった。
俺は神足を抱き寄せた。皺のない、新しい清潔なセーラー服は、簡単に腕の中に納まった。
神足は、逆らわない。
目を閉じて、されるがままになっている。
そのまま、俺は神足のピンクの口唇にキスをした・・・。
唇を離しても、俺たちはまだ身体を寄せていた。
どのくらい経ったのだろう。辺りの日が急に弱くなり始めてから、俺たちは慌てて身体を離した。
「・・・これは・・・恋人未満としては、行き過ぎじゃないの?」
神足はそっぽを向いて文句を言った。
「神足だって、何も言わなかったじゃないか」
「それは、そうだけど・・・でも」
神足は、まだ何か言っている。
俺は、今の気分を言葉にしていた。
「嬉しいよ。・・・今日は、いい夢見られそう」
「・・・バカ」
その日、初めて二人は一緒に帰った。
ちなみに、この一部始終は静先輩に見られていて、ケータイに録画までされていたらしい。
翌日になって、神足がぷんぷん怒っているので、訳を訊いたところ、教えてくれたのだ。
『恋のキューピッド料』だと開き直っていたらしく、先輩は神足のお母さんにまで俺たちの告白現場とキスシーンを披露して喜んでいたとか。
・・・これで当分、神足家に行くのは先になりそうだった。
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