朝曇っていた空は、次第に黒くなっていき、3時間目が終わる頃には強い雨になっていた。
強力な雨が窓ガラスを打ち、風がびゅうびゅうとそのガラスを鳴らしていく。
・・・きっと、警報が出ているのだろう。
だが、学校に来てしまっている以上、警報が出ても何もありがたくはない。帰るのが長引くだけだ。
そうこうするうち、英語のグラマーをやっていた4時間目の教室には、ゴロゴロという雷の音が鳴り始めた。
ときおり、ピシャリと光がする。
教師も生徒も外の様子は気になるらしかったが、授業は滞りなく続いていた。
雷は、間近まで近づいていた。
別に雷鳴と雷光の間の間隔を数えたりはしていなかったが、光は一層強くなり、音は一層轟いてくる。
とはいえ、教室の中にいれば雷が直撃したりはしない。とくに、不安はない。
高校生ともなれば、みんなそんなものだろう・・・と思っていた。
だけど、
普段から彼女は静かに授業を受けている。
転校当初から無口な彼女だったが、それは僕と親しくなった後でも変わらない。印象はほんの少し優しくなった感じがするけど、それは僕のひいき目だろうか?
とにかく、授業中の彼女は、静かだった。
でもそれは、授業を受けるのに不真面目だということじゃない。前を向いてキチンと授業を聞いていた。
だけど、この日の彼女は、前を向いていない。
俯いて、ガタガタと震えているのがわかる。
・・・雷が、怖いのかな。
神足さんの耳は、変わった形をしているのと同時に、恐ろしいほどに聴こえる。
それだけに、強い音が苦手らしい。
さっきから鳴り響く轟音で彼女が不安を感じていてもおかしくないとは思っていたけど・・・。
教室のみんなは、適当に授業を受けている。先生も、一人一人に注意を払ったりはしていない。眠っている生徒がいても、叱ったりはしない。
それだけに、神足さんがガタガタと震えていても、何も感じないのかもしれない。
僕だって普段は、そういう中の一人なんだろうけど・・・神足さんが無視されていると思うと、結構腹が立った。
昼休みになったら、声をかけてあげないとな・・・なんて思っていたとき。
ドンン、と、一際大きな雷が輝き、すぐさまズバシゴオオオオン、ドロオン、ゴンゴンゴン、と大轟音が鳴った。
少し校舎が震えるほどの雷だ。
校舎に落ちたのかもしれない・・・。
明かりが明滅している。一瞬だけど、停電したのだろう。
そして周囲がザワザワとしている中、僕は真っ先に彼女を心配して視線を投げる。
彼女は、机につっぷして動かなくなっていた。
「ちょ、ちょっと神足さん!?」
いきなり席を立った僕に、先生とみんなから一瞬非難の視線が投げかけられる。
だけど、そんなのを気にしてる場合じゃない。
彼女の肩を叩くが、反応がない。
血の気が引いていて、顔は青白くなっている。
ピクリとも反応がない・・・。
神足さんは、失神してしまっていた。
皆があっけに取られる中、僕は彼女を背負う。
体力に自信があるわけでもない僕が彼女を背負うのは、結構苦しいけど、そのときはそんなの気にならなかった。
「保健室に彼女を連れて行きます」
中年男性の英語教師はあっけに取られ、コクコクと頷いているだけだった。
僕はクラス中が見つめる中(見つめられていたことには後で気づいた)、彼女をおぶって1階の保健室へと移動した。
この学校の保健室の先生は、杉野先生だ。メガネをかけた知的な女性という雰囲気で、しかも結構若くて評判だったりする。
まあ、真面目な生徒が多いこの高校では、保健室が盛況になったりということは少なく、あくまで一部男子の間で、ということだったが。
その日は、杉野先生は保健室に一人だった。
神足さんを背負ってやってきた僕を見ると、杉野先生は、
「・・・そこに寝かせて」
といった。
「どうしたの? その子」
「えっと・・・雷の音で、気絶したみたいで」
「ふーん・・・その子、名前は?」
「神足文子、2年3組です」
「君は?」
「谷崎博也、2年3組です」
「・・・なるほど、ね」
杉野先生は首を振った。
僕は、何がなるほどなのかわからなかったので首をかしげた。
それをみていたのか、先生は勝手に喋り始める。
「その子でしょ? 例の転校生って。事情は聞いてるから」
「え、例のって・・・」
杉野先生は値踏みするような目で僕たちを見たが、やがて言葉を継いだ。
「あなた、どうしてここにこの子を運んできたの?」
「え、いや、彼女が突然ぐったりしてたから」
「あなたが気づいたの?」
「ええ、まあ・・・」
「そうでしょうね。毎日あなたたち一緒に帰ってるみたいだから仲はいいみたいだし、あなたが真っ先に気づいても無理ないわね」
「え、毎日一緒に・・・って、し、知ってたんですか!?」
先生にまで見られているとは思っていなかったので、僕は赤くなった。
「中庭で毎日デートしてるでしょ。ここからよくみえるわよ」
「は、はあ・・・」
あれって、他人から見たらデートなのかな?
「・・・で、話を続けるけど。
その子でしょ、例の耳が聴こえすぎるっていう子。・・・前の学校での健康診断票の特記事項に載ってたのよ。本人は、どうしても別のところで聴力測定させて欲しいってゴネたみたいよ」
「え・・・」
大体理由はわかる。あの耳を誰かに見られたくなかったのだろうし、耳が聴こえすぎることを気にしていたからだろう。
聴力測定では、「耳が聴こえること」は確認できても、「耳が普通の人よりよく聴こえること」はわからないはずだから、後の心配は不要なんだけど。
それでも一応僕は、会話の流れとして、杉野先生に訊いた。
「あの・・・彼女がゴネた理由は・・・」
「・・・そこまでは書いてないわよ」
本当に書いてないのかどうか、先生の声からはとてもわからない。
「そうですか・・・」
先生は、僕の顔を見ながら、メガネの位置を直しつつ、また値踏みするように呟く。
「ま、あなたは知ってるみたいね」
僕はそれに答えていいものかどうか迷った。
が、先生の方も興味があったわけではないらしく、そのことを追及したりはしなかった。
それまで、神足さんの寝ている傍で、僕と先生は椅子に座って話していたが、そのころになってようやく彼女は目を覚ました。
「・・・あれ、わたし・・・?」
「目が覚めた? 神足さん」
「博也君? ここ、どこ?」
神足さんが『博也君』と呼んだあたりで、杉野先生が(ふんふん)というような感じで頷いた。きっと、なにか僕らの間に特別なものを感じたんだろう。
僕は、先生が何か言い出さないかハラハラしながら、神足さんの質問に答えた。
「保健室だよ。神足さん、雷で気絶しちゃったから、僕が運んできた」
「そうだったんだ・・・ありがと」
そういうと、神足さんは杉野先生に目をやった。
「ご迷惑を、おかけしました」
「これがわたしの仕事だからね。・・・そっちの彼は、授業を抜けて、あなたをおぶってここまできたんだけどね」
杉野先生の口調は、僕をからかっているのか何なのか、よくわからなかった。
どうもこの人は、話し方や態度からして根っからの理系体質らしい。
「どうもありがとう」
神足さんは、改めて僕に御礼を言った。
「いや、別に・・・どうってことないよ」
僕は照れて、うまく返せずにごまかした。
そこで、すかさず杉野先生が言う。
「気が済んだら、君は授業に戻りなさい。・・・神足さん、あなたの方は少し休んだ方がいいわね」
「え・・・あ、はい」
「・・・わかりました」
少し残念そうな神足さんに、僕。
先生は、それをみて溜息を吐いた。
「・・・そんな残念そうな顔しないでよね。わたしはなにも、意地悪を言ってるつもりはないのよ。昼休みになったら逢えるんだし、いいんじゃないの」
「え、そ、そんな」
「そ、そうですよ、僕らはそんな」
「二人の関係はこの際どうでもいいわ。・・・さ、さっさと戻りなさい」
こうして、僕は授業に戻った。
保健室には、杉野先生と文子だけが残った。
文子は、まだ保健室の扉を眺めていた。
杉野先生は、何ともいえない目をして文子に言う。
「・・・勘違い、しないでね。まあ、少しは意地悪もあるけど、授業に出ないとダメなのは本当だから」
「は、はあ・・・」
杉野先生は、ぼんやりした文子をみながら言いよどんでいたが、小声でハッキリと言った。
「言いにくいんだけどね、その、耳が、見えてるわよ」
たしかに、髪の毛の掛かり具合が悪くなっていて、長い耳がほとんど見えてしまっている。
文子はとっさにパッと耳を隠した。
同時に、少し怯えるような目で杉野先生を見る。
杉野先生は、文子のその動作が少し可愛く、可笑しくて噴出しそうになった。・・・が、顔だけは真剣に繕って聞き返す。
「大丈夫よ、まあ珍しくないとはいわないけどね。・・・その耳、気にしてるのね?」
文子は俯いて、応えなかった。
「でも、・・・さっきの彼はちゃんと知ってるんでしょ?」
「・・・・・・」
文子は、上目遣いになり、コクンと頷いた。
「素敵な彼ね。あなたのことに気づいたのも、ここに運んだのも彼なんだって」
先生がそういうと、文子は真っ赤になった。
「・・・でも、あなたを受け入れてくれる人は、この学校の中でも他にたくさんいるわ。先生も、生徒も、みんな・・・。もちろん、耳を隠すのはそれでいいんでしょうけど、神経質にならなくてもいいと思うのよ。
まだあなた、この学校であまり友達がいないでしょ? もう少し、心を開いてみない?」
・・・文子は、その言葉をボンヤリと聞いていた。
杉野先生は、そんな文子を静かにみつめていた。
4時間目が終わると、保健室に博也がやってきた。
「神足さん、具合はどう?」
「・・・なんとか、平気」
そう応える文子の声は、少しだけ、いつもよりもハッキリしていた。
杉野先生は、ちらりと博也と文子を見た。
博也はそれに気づかなかったが、文子は気づいた。
文子は、博也と話をしながら、いろいろなことを考えていた。
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