「はじめまして、ね。
ある日の放課後、そう言ってわたしに話しかけてきたのは、背が低めでショートカットの女の子だった。
見覚えのない相手。同じ学年みたいだけど、違うクラスなのはまちがいない。
目鼻立ちがハッキリしていて、意思表示が強そうだな、という印象だった。
そして彼女は、その印象どおり、ズバリと自分の用件を切り出した。
「ちょっと話をしたいの。いいかしら?」
彼女はわたしが頷くのを見ると、さっさと教室に入り、椅子に座った。
わたしもしょうがなく、それに続いた。
「あの・・・」
どういう話なのかしら?、とわたしが訊こうとする前に、彼女は喋り始めた。
「まず、誤解のないように、初めに言っておくわね。
これから話す話は、あなたにとって不愉快かもしれない。
だけど、わたしはあなた・・・神足さんに恨みがあるとか、妬んでるとか、そういう気持ちは全然ないの。
それから・・・まあ、今は、谷崎博也君にも別に悪い気持ちはないわ」
いきなりの彼女の話に、わたしは面食らった。
どうやら、話を聞く限り、
彼女はわたしを不愉快にさせかねない話をしたいらしい。
でも、わたしに対しての悪い感情があるとか、そういうのでもないらしい。
そして・・・どうやら、その『不愉快な話』というのは、・・・博也君についてのことであるらしい。
なんというか・・・失礼な話だ。
相手の話し方がもう少し癇に障るようなものだったら、わたしは何か言い返していただろう。
だけど、彼女はやや早口で事務的に話を進めてきていたので、何やら呆れて腹も立たない感じではあった。
「あ、それから。
わたしは、太田久美子っていうの。隣のクラスなのよ。よろしく」
今更ながら、彼女はこちらに名乗った。
その笑顔を見る限り、それほど悪い人には思えない。
だけど一体、彼女は何を話すつもりなのだろう?
「まず初めに、わたしについて話しておくわね。
わたしは中学校時代、谷崎君と同じ学校に通っていたの。そして、中学1年生のときに、彼と同じクラスになったわ」
「それからまあ・・・ここからが神足さんが不愉快に思うかもしれない部分になるんだけど。
端的に言えば、中学2年になって、夏くらいだったかしら? 彼に告白されたの。ラブレターをもらったわ」
微妙に唇をゆがめて、そんなことを彼女―太田久美子さんはわたしに告げた。
わたしは、不愉快というよりも、何も考えることができなくなった。
それに、ゾクリとするものを身体に感じた。
考えてみれば、博也君の過去を具体的に知るのは初めてかもしれない。
それも・・・彼がむかしに好きになった人の話なんて。
「・・・話を続けていいかしら。
それでね、わたし、その頃別に好きな人がいたのよ。別に付き合っていたとか、そういうのじゃないんだけど。でも、わたしも初めて人を好きになってて、その人と以外付き合うとか考えられなかったし。
谷崎君には、丁重にお断りの手紙を書いたわ」
太田さんは、ふう、とため息をついた。
まあ・・・わたし自身、何度か人を振ったことがある。その気持ちは分からないでもない。
しかし、彼女が振った相手が博也君だと思うと、怒りのような、ホッとするような、妙な気分だった。
「さて。
まあ、そこで話が終わりだったら、別にわたしもこうして話をしにきたりはしないんだけどね。もう少し、話には続きがあるのよ。
・・・谷崎君にとっても、わたしを好きになったのは・・・初恋だったみたいね。
それでまあ、彼もわたしに振られて相当ショックだったのは間違いない、と思う。
その後、谷崎君は何度もわたしに考え直してくれないか、とか、・・・まあ、いろいろと・・・手紙とか、送ってきたりしたわ。
一度『好きだ』と言ってわたしに振られたわけだから、さすがにもう一度『好きだ』とは書いてこなかったけど。でも、いろいろと口実をつけて手紙を書いたり、会おうとしたり。暗い顔してね。煮え切らない感じだったわ。・・・ハッキリ言って、迷惑だった」
その部分に関しては、彼女は押し殺してはいたけど嫌悪感をにじませた。
だんだん聞いているうちに、胸がモヤモヤして気分が悪くなってくる感じだった。
こちらもこれ以上、できれば話を聞きたくはなかった。
とはいえ、わたしの中でも、彼女の話をどうしても聞いておくべきだという思いがあった。
わたしの表情が硬くなったのを見て、太田さんはそれを解きほぐそうとするようにフッと笑った。
「勘違い、しないでね。わたしもね・・・その後、初恋の人に振られたの。そして、もう少しで同じことをしそうになった。
それが好きな人の迷惑になる行為だって、わかってたから。だから、ギリギリのところでやめられた」
「わかってても、どうしようもない。バカなことをしたくなる。
そういう気分の時だって、あると思う。・・・そう、思うわ。認めたくないけどね」
彼女の表情は晴れなかった。
博也君にしたことに腹を立てているのか、自分のしそうになったことに腹を立てているのか。
それとも、他の何かに腹を立てているのか。
「さて。
あともう少しだから、最後まで聞いてね。
そう。彼があんまりしつこかったんで、わたしも最後に・・・彼に言ったのよ。
『ストーカーみたいな真似はやめて。二度とこんなことしないで。手紙書くのもやめて。・・・ハッキリ言うわ。迷惑なの』
・・・谷崎君、それまでも結構暗い顔してわたしに近づいてたけど、正面切ってそう言い放ったら・・・ホントに、真っ青な顔になってね。
それから、彼はちょっとだけ頷いて。そして、フラフラになって帰っていったわ。誇張の表現ではなくて、本当に真っ直ぐ歩けなかったみたいだった」
彼女は、真剣な目でわたしをみつめ、そして語った。
・・・そして、ため息を吐いた。
「彼は、その後一度だけ手紙をくれたわ。これまでのこと、全部謝るって。許してほしいって。
『一言、許すといってほしい』
そういうことが、書いてあったわね。
谷崎君は・・・もともと、優しい人なんでしょうね、きっと。だから、わたしにこれまでしてきたことを、自分で許せなかったんだと思う」
太田さんは目を閉じて、考えながら話していた。
そして、そこまで話したとき、肩をすくめた。
「正直に言えばね。今更谷崎君に謝られたって、うっとうしいとは思った。ここでもう一回、彼に『許してあげる』なんていったら、また彼に付きまとわれるだけかもしれないじゃない?
だから、谷崎君の謝罪に関しては、無視することにしたの。
ま、彼だって、『二度と手紙を書くな』っていう言いつけを破ってるわけだし・・・ね」
それに関しては、何とも言葉が出なかった。
「でも、さっきも言ったとおり。
谷崎君には、ある意味で感謝してるわ。わたしの代わりに、先に間違えてくれたのかもしれない、って思う。
谷崎君の謝罪に応えたり、そういう感謝を谷崎君に伝えたりっていうのは、してないけどね」
「・・・それでね。最近、谷崎君が、あなたと付き合いだしたって聞いて。どんな人なんだろうって、興味がわいたの。
人柄とか、・・・綺麗なのかとか、そういうのも興味があったし。まあ、その耳が長いのにはビックリしたし、こんな美人だったなんて思わなかったんだけど・・・。
・・・なにより、あの谷崎君と付き合うことでその人が幸せになってるのかなって、それが気になった。
あなたを見てると、幸せなんだろうなって思えたわ。
・・・谷崎君の反省も、本物だったってことかしら?
もう谷崎君は、独りよがりに相手を考えずに突っ走ったりするような人じゃないって、そう思っていい?」
いつの間にか、彼女はわたしにそう問いかけてきた。
わたしはなんと答えたものか、考えた。
しばらく考えて。
そして、口を開く。
「・・・少し前のことですけど。
彼、同級生の女の子に告白されてました。それで彼は、キッパリ告白を断ったんですけど・・・その後、辛そうに言ってたんです。
『・・・人を振るって、結構大変なんだね』
『・・・振られる方も、辛いけど』
それだけ聞いたそのときは、何のことかはわかりませんでした。
だけど、今、思うんです。
博也君は、太田さんに振られたショックを覚えているし・・・、自分がやってしまったことの大変さもしっかり覚えているんじゃないかって。
彼は、わたしにはすごく優しくしてくれます。・・・だから、『幸せ』だと思ってます。
・・・これで、答えになってますか?」
彼女はわたしの言葉を聞き逃さず、わたしの目を見て話を聞いていた。
やがて、彼女は目を閉じて・・・息を吐いた。
「・・・ええ。充分、よ。・・・少なくとも、今のところはね」
そして、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「話はこれだけよ。・・・ああ、あと、最後に大事なことを言い忘れてた」
「・・・できれば、あなたから、伝えてくれないかしら。
太田久美子は、谷崎君のことをもう怒ってないし、・・・許してるって。神足さんに、優しくしてるみたいだからって。・・・そして、あなたに感謝してるって。
今の彼なら、別に謝っても問題ないと思うし。でも、わざわざ直接謝る気にもならないから。
用件はそれだけよ」
彼女はそう言って、教室を出て行こうとした。
だけどわたしは、それをさえぎった。
「わざわざわたしが伝えなくても、もうすぐここに来るわ」
だって、彼の足音が近づいているから。
「え・・・?」
太田さんの耳には、まず足音は聴こえていないだろう。聴こえたとして、誰の足音かなんてわからないだろう。
だけど、わたしにはわかる。
そして、程なく、博也君は教室に姿をみせた。
「神足さん、ここにいたんだ・・・って??」
博也君は、太田さんを見るとギクリとしたような顔になった。
「あの・・・ふたりはどういう関係?」
慌てたように、わたしたちに尋ねる博也君。
わたしと彼女は、顔を見合わせた。
「・・・ちょっとした、知り合いよ」
「あなたが縁で知り合った、ね」
そういうと、博也君はポカンとした顔つきになった。
そんな彼を面白がるかのように、太田さんは彼の顔を見て言う。
「・・・もう、怒ってないわよ。・・・それと・・・ありがとう。彼女を大事にしてね」
その言葉を聞いて、博也君はますます驚き、何も言えないようだった。
そして、彼女は教室を出て行こうとする。
「ああ、それから最後に。神足さんにだけ教えてあげるわ」
彼女は振り返ると、わたしの耳に口元を寄せ(そんなことをしなくても、小声で話せば聴こえるのだが)、小さな声で告げた。
「わたしね。告白されたのって、彼が初めてなの。
だから、嬉しかったわ。谷崎君に告白されたことは。
断っちゃったこととは別にして、ね。
谷崎君には絶対に教えないけど・・・あなたには、教えておいてあげる。
もちろん、彼には内緒よ」
そう言って太田さんは、はにかんだ笑みを見せた。
そして今度こそ、教室を出て行った。
その後、わたしと彼は何も言わずに下校し・・・わたしの部屋でようやく話ができる程度になった。
「いろいろと、聞かせてもらったわよ。・・・彼女との、昔を」
わたしは博也君にそう言ってやった。
博也君は、複雑な顔をした。
「太田さん、僕のこと、悪く言ってた?」
「・・・まあ、物凄くいい印象は持ってないみたいよ」
こう答えておくのがいいだろう。と思った。
「だろうね・・・」
やはり彼は、太田さんがつける自分の評価が気になるようだ。
「その分、わたしが博也君の弁護をしてあげたから、安心しなさい」
「弁護って・・・」
「まあ、いいじゃない。あなたは・・・彼女にしたことを悔やんでるみたいだけど、彼女が許すって言ったんだから」
「そうだね・・・そう、言ってたね」
その言い方には、納得していないらしい気持ちが滲み出ていた。
わたしは、少し気になって訊いてみた。
「ねえ、今は太田さんのこと、どう思ってるの?」
「そうだね・・・。彼女に昔持ってたみたいな感情は、もうないよ。
彼女が好きだとか、恋してるとか、そういうのは全然ない。
ただ、思うんだ。
彼女には、幸せになってほしい。
太田さんは僕を友達とは思わないだろうけど・・・でも、僕が彼女に抱いてるのは、・・・友情っていうのが近いんじゃないかって思う。
彼女にいつか僕の助けが必要なら、そのときはしっかり助けてあげたいし・・・。
そういう感情を持ってる」
「恋してないっていうけど・・・まるで、彼女に恋してるみたいね」
若干の不安を感じつつ、わたしは博也君に言った。
彼は、慌てたように言った。
「まさか。
今は太田さんを好きなわけじゃないよ、その・・・僕の好きなのは」
その言葉を最後まで言わせず、わたしは言った。
「・・・いいの。この話はもうよしましょ。振ったわたしが悪かったわ」
その後、しばらくまた違う話をしたり、静かになったりしてその話題から外れた。
それでも、わたしは彼が帰る前にもう一度この話題に触れた。
「・・・でもね」
わたしは言った。
「いい加減、過ぎたことを後悔してもしょうがないと思うわよ」
わたしはあえて、後悔という言葉を使った。
「それは・・・そうやって、言うことは簡単だけどさ」
博也君は、後悔していることを否定しなかった。
「まったくもう。
だいたい、博也君はどうやったら自分のやったことを悔やまないようになるっていうの?
彼女は、ただ一言かもしれないけど、ちゃんと許すっていったわ。
わたしだって、博也君のやったことを聞いても、別に今更どうとも思わないわよ。
後は、あなたの気持ちだけでしょ」
わたしは少し口調を荒げて、博也君に言った。
言い過ぎたかな、と思った。
だから、あとで言い添えた。
「それとも、『優しい彼女』に、博也君、わたしに出会う前に太田さんを傷つけたことがあったのね、辛かったわねえ、って同情してもらわないと、ダメなわけ?」
・・・冗談のつもりで言ったのだけど、少し本気の悲鳴が混じってしまったようになったのはしょうがないだろう。
「う・・・そ、そんなことないって」
さすがにそこまで言われると、博也君も困ったように答える。
わたしは、クスリと笑った。
「まあ、そこで『ウン、同情されないとダメだよ、神足さん〜』なんて言われたって、どうしようもないけどね。
・・・残念だけど、わたしもそこまで気色悪いことはできないわ」
「だから、そんなこと言わないってっ!」
今度こそ、彼も少し笑いながら答えてくれる。
わたしはだんだん明るい気分を感じながら、微笑んだ。
「だったら、今後彼女のことは気にしないことね。
・・・そうよ。
念願叶って、一言『許す』って言ってもらえたじゃない。
これ以上、何を望むの?」
彼は、目を閉じて、そして彼も微笑んでくれた。
「そうだね・・・。たしかに、そうだ。
神足さんの、おかげ、かな」
「・・・それは、わからないわね。太田さんだって、わたしに突然話しかけてきたんだから。
とにかく、・・・この話は、終わったってことね」
わたしがそう言うと、彼も頷いた。
「うん。終わったってことだね」
その日は、他にも話をした。
だけど、きっと覚えていられるのは、太田さんとのことだけだろう。
「じゃあ、僕は帰るよ」
そう言われたときも、博也君がホッとしているのがわかった。
もちろん、太田さんとのことをわたしと話し合えたことに。
「うん。また、明日。じゃあね」
きっと、そう答えたわたしの顔にも、そういう安堵が浮かんでいたと思う。
毎日のように、朝出会い、夜別れるわたしたち。
他のカップルに比べて、相当恵まれているんだと思う。会える回数や時間ということでは。
だけど、どういうことを話せたのか。そういうことは、会っていることとはまた別だ。
そういう意味で、ほんの少し、また彼との距離が縮まったと思う。
そう、思いたい。
続編、夏休み、プールにてはこちら。
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