その人と出会ったのは、昼休みだった。
なにやら一杯書類を持っていて、顔が見えないほどだった。
その人は前が見えないせいか、フラフラ歩いていた。こちらも、友達と歩いていて、前をよく見ていなかった。
そして、気づいたときには、僕はその人と衝突した。
彼女の小さな悲鳴が響き、廊下は書類まみれになった。
小柄でショートカットの、新米教師らしき女性。
彼女は慌てて書類を拾い始めた。
僕も慌てて、謝りながら書類を拾っていく。
そんな光景を、僕の友達が呆然と見ていた。
書類を拾っている途中で、彼女が声をかけた。
「あ、いい、いい、拾わなくても。もうすぐ昼休みが終わるから、早く戻りなさい」
彼女はそう言って、僕と友達を教室に帰るよう促した。
「いえ、でも、僕が前を見てなかったわけですし」
「それをいうなら、わたしも一杯書類を持ちすぎてたわけだし」
「でも、拾いますよ」
僕が繰り返すと、彼女はしばらく考えていたが、
「・・・まあ、そう言ってくれるなら」
と言った。
その後、友人と僕、そして彼女の三人で書類を拾った。
三人で書類を拾ったので、そこそこ速く書類を集められた。
集めた書類を持って、僕は言った。
「おわびに、これ、持って行きますよ。どこまでですか」
「そんな、悪いじゃないか」
彼女は、男の人のような言葉遣いでそう言った。
でも、僕はまた彼女に食い下がった。
「いいですって。どこまでですか」
彼女は腕に嵌めた時計を見ながら、
「・・・キミたちはそういうが、あと2分で昼休みが終わるぞ?」
と言った。
「別にいいですって。次の先生、いつも3分は遅刻してきますから」
僕がそう言ったとき、隣にいた僕の友人が嫌な顔をしたが、とりあえず無視した。
先生はまたしばらく考えていたが、
「そういうのは、あまりよくないな・・・だが、まあ、そういうなら、お言葉に甘えよう。保健室までお願いしようかな」
そう言った。
僕は彼女の持っていた書類を抱え・・・一応、少しは友人に持ってもらったが、それでも3分の2くらいは僕が持って保健室まで歩いた。
ようやく保健室につき、デスクに書類を置くと、彼女は僕らに礼を言った。
「ありがとう。
フフ、やっぱりこういうときには男というのは頼りになる。そういう生徒は、好きだぞ」
彼女はそう言って、僕らを送り出した。
彼女が保健室の先生だということは、そのとき初めて知った。
随分若いと思ったら、まだ2年目だそうだ。小柄なこともあって、ますます若く・・・というか、僕らと同じくらいにみえる。
名前は、林理恵というらしい。なんでも、結構「可愛い」とのことで、この学校に勤めだした頃から既に男子の中で注目度があったのだとか。
そういうことを、保健室からの帰りに友人に聞いた。
「まあ、俺としてはカワイイ系じゃなくて綺麗系の方がいいと思うんだけどよぉ、・・・なんつーか、林センセーちっちゃいし、カワイイ系がいい奴は結構ググッとくるもんがあるらしいぜ。
そう、ちょっとそっけないあの男っぽい喋り方とかも・・・いいらしいな。
あ、ちなみに俺としてはだな、英語の片山センセーの方が・・・」
「・・・横井・・・それはもう何回も聞いた」
「わーってるって。まあいいだろ? 別に片山センセーに惚れてるんじゃなくて、片山センセーみたいなタイプが俺の好みって話」
「っつったって、お前結構その話するよな。やっぱり好きなんじゃないのか?」
「うー・・・そうじゃないんだな。片山センセーって彼氏持ちだろ? そういうのに惚れるほど俺も馬鹿じゃないって」
「馬鹿とかそういう問題なのか」
「そりゃそうだろ。タイプかどうかと、好きになるかどうかは全然違う。好きになる相手は、手の届く相手にするべきだな」
「・・・はあ・・・よくわからんな」
コイツの考えていること、とくに恋愛関係についてはよく分からない。
「それはそうと・・・林センセー、お前みたいな生徒が好きだって言ってたな」
「・・・ただのリップサービスだろう」
「またまた、照れちゃって〜」
「照れてねえって」
「っていうけどさ。あの人、別にそういうお世辞言う人じゃなかったと思うんだよな、たしか。
それでお前にそういうこと言うってことは、結構マジでそういうつもりだったんじゃねえか?」
「そ、そうなのか?」
「あー・・・でもな、たしかあのヒトも彼氏持ちなんだよな。やっぱりただのリップサービスかもな」
「どっちなんだよ・・・」
話を聞いていると、ドッと疲れてくる。
「まあいいじゃねえか。あんだけ美人の先生に『そういう子、好き』っていわれるのも、まんざらじゃねえだろう」
まあ、それはそうかもしれない・・・。
そこまで話したところで、教室に着いた。
ちなみに、昼休みが終わった後の英語の授業(片山先生の)には、ちゃんと間に合った。
その日の放課後、帰ろうとしていたところを保健室の林先生に捕まえられた。
「あ、昼休みのキミ!」
そういって、来い来い、と手招きされる。
「昼間はありがとう。まあ、こんなものしかないが、これでよければ飲まないか?」
そういって、先生は保健室の冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。
「こんなの冷やしてて、いいんですか」
「ま、よくはないかもしれないな。しかし缶コーヒーは自腹だから別にいいんじゃないか?」
そういって先生は、自分の分のコーヒーを開けた。
「乾杯だ、カンパーイ」
「カンパーイ」
そして、コーヒーを飲む。
当たり前だが、コーヒーはよく冷えていた。
「おいしいか?」
林先生は、そう尋ねてくる。
「おいしいですよ」
「そう、よかった」
コーヒーを飲みながら、僕は訊いた。
「保健の先生も、大変なんですね。あんな書類を運ばないといけないんですか」
「まあ、なあ。一応、生徒の分をみんな処理してるからな」
「あの後、大丈夫でした? 書類がばらばらの順番になってたりとか」
「うーん、まあ、結構ずれてた。がんばって直した」
「そうでしたか。すみません」
「そんなのいいんだ。拾ってくれるだけで嬉しかったんだしな」
そう言って、先生は手を振った。
「それに、先生は、キミみたいな子、結構好きだしな」
「え・・・」
「なんていうんだろう? ちょっと、キミはわたしの初恋の人に似ているんだ。顔立ちとか、態度とか。
・・・わたしに今彼氏がいなかったら、交際をお願いしていたかもしれないな」
先生は、残念そうに首を振る。
彼氏持ちっていうのは、本当だったんだな。・・・ていうか、そうじゃなくて。
先生にそんな言動をされても、リアクションに困るんだけど・・・。
「そ、そうなんですか・・・」
とりあえず、そう言っておく。
「そうなんだ。初恋の人もな、格好よくて、優しかった。
キミは、女の子にもてたりしないのか?」
「いえ・・・、特にそういうことは」
「うーん・・・そうなのか?」
「だから、そういうことはありませんってば」
言ってて哀しくなるけど。
「うーん・・・そうか。難しいもんだな」
何が難しいのかはよくわからなかったが、とりあえず僕も意味ありげに頷いておいた。
しばらくして、僕が帰ろうとすると、先生は最後に訊いてきた。
「キミ、名前は?」
「あ、大野っていいます」
「そうじゃなくって。訊きたいのは、どっちかといえば下の名前だ」
「・・・達也、です」
「そうか。じゃあな、達也君」
そう言って、先生は手を振ってくれた。
どうやら、本当に先生は僕に好感を持ってくれているらしい。
彼氏持ちか、ちょっと残念だな。
そんなことを考えた自分に驚きながら、その日僕は家に帰った。
さて、そんな感じで出会った僕と先生。
その出会いの日以来、1週間ほどは何も起こらなかった。
そのまま何も起こらなければ、そのまま先生のことを忘れてしまっていたのだと思う。
だけど、たまたま買い物に出た街で、それを見てしまった。
日曜日。
街まで出てきた僕は、適当に昼飯を食べようとして、ハンバーガー屋に入った。
そこで、林先生と・・・スーツ姿の男がなにやら言い争っていた。
まず聴こえてきたのは先生の罵声だった。
「ふざけるなっ! そんな態度があるかっ」
続いて、男の罵声。
いや、罵声というよりは、困惑しているのか。先生にあわせて大きな声を出しているようだ。
「君は、いつも文句なんか言わないじゃないか」
「ふん・・・それは、文句を言わない方がいいと思ったからだ。それが何か? 上司の娘と見合いをして、その後相手とデートに行って、行き先はフランス料理だの料亭だのか。それでわたしとは、こんなファーストフードの店でいいっていうのか」
「それは、見合いだから仕方ないといっただろう」
「見合いから始まった相手だったらいつも高い店で、わたしには全然金をかけないわけか。中高生や大学生でもあるまいし、金が足りないでもあるまいし。お前がわたしにどういう気持ちを持っているのか、よーくわかった」
「だから、それは」
「要するに、お前、わたしのことを金がかからないデートができて、ついでにちょっとセックスもできる都合のいい女だとしか思っていないんだろう」
「話を聞けよっ」
「わたしの言ったことに反論できるのかっ」
先生は店中に響く声で怒鳴った。
・・・幸い、客はあまりいないのだが、これは相当店に迷惑だろうな・・・。話してる内容も内容だし・・・。
僕はそんなことを考えた。
いや、もちろん、先生のことは気になったけどさ。
「だから、見合い相手とはただの付き合いだし・・・」
「フン・・・それしかいえないのか、馬鹿が」
男は顔をしかめて言い訳をする。
だけど、先生はゾッとするような声でそれをさえぎった。
やがて、先生は右手の薬指から、銀色に輝く指輪を抜いた。
「こんなもの返してやる。ついでに、携帯の番号もアドレスも着信拒否をつけてやる。二度と連絡してくるな。
・・・どうぞ、見合い相手とでも、幸せにやってくれ」
そういって、先生は指輪をテーブルの上にゆっくりと置くと、席を立ち、足早に店を去っていった。
男は、追いかけようともしない。
しばらく、呆然としていたが、やがてチッと舌打ちをした。
僕は、自分が食べていたハンバーガーを慌てて飲み込むと、トレーを返してカバンを持ち、先生の後を追いかけた。
僕が慌てて階段を降り、先生はどこへ消えたのかとキョロキョロすると、意外にも目の前に先生がいた。
先生は目を丸くしている。
「・・・どうしてキミがこんなところに?」
「その、さっきのケンカ、きいてしまって」
「そうか・・・みっともないところをみせたな」
先生は、少し店の方を見ている。
「あの男は?」
「その・・・なんか、あっけにとられたみたいで・・・」
僕が説明しようとすると、先生はそれをさえぎった。
「追いかけてくる気はないんだな?」
「・・・まあ、そうみたいです」
先生は深いため息をついた。
「わたしも嫌われたものだな。まあ、・・・可愛げがないとは、昔から言われていたがな」
「・・・ていうか、先生ってそこまで男っぽい喋り方でしたっけ?」
僕がそう訊くと、先生はまた目を丸くした。
「・・・ああ、これがわたしの地なんだ。学校みたいな場所じゃさすがに引かれそうなんで、少し猫を被ってるがな。
それにしたって・・・うーん、こんな喋り方だから、男に軽く見られて適当にあしらわれるのかな」
そう言って、また先生はため息をつく。
先生はしばらく、店を見ながら考えていた。
だが、男が出てくる気配はない。
「・・・まあ、あの男も出てこないみたいだし。
少し、つきあってくれないか?」
そういって、先生は僕を誘った。
やってきた場所は、カフェだった。
「ここは多少コーヒーが高いんだが、その分美味しいんだ。
ま、普段ここのコーヒーなんか飲んでると缶コーヒーが飲めなくなるんで、あまり来たくはないんだが・・・あの男は、デート代をケチるから、こんな店にわたしが入ったことがあるとは思わないだろうな」
なるほど。コーヒー一杯で1000円近くもする。
こんなところ、払えるかな、と一瞬考えたが、先生はそんな僕の表情を読んだのか、ニヤリとした。
「心配するな。わたしが付き合わせてるんだ。第一、わたしの方が年上だぞ? 奢らせてもらう」
やがて、コーヒーがやってきた。
「まあ、それにしたって。・・・腹の立つことだ」
そう言って、先生はコーヒーを口に含む。
「・・・えっと。あまり話は聞いてなかったんですけど・・・何があったんですか?」
「ん?
まあ、簡単だ。
アイツが上司の娘と見合いをしたんだ。まあ、付き合いだとは言っていたが・・・そこで、見合いが終わった後に、4、5回ほど料亭やらフランス料理やら、目玉が飛び出るほど値が張る店でデートをしたんだと。
1、2回ならともかく、それだけデートしてれば本気だろう。・・・アイツが就職してる会社には、わたしの友達も就職しててな。で、どうやらその友達の話では、その上司の娘は非常に美人で、いい人らしい。あの男とは、すぐに打ち解けて、お互い憎からず思っているらしい。
あの男とは、大学時代からの付き合いなんだが・・・やれやれな話だ」
そういって、先生は首を振る。
小柄な先生だったが、首を振るしぐさ等から受ける雰囲気は、アンニュイな感じで大人の女性という雰囲気だ。
「ああ。そうそう。着信拒否にしておかないとな」
そう言って、先生は携帯を取り出し、数分程度操作していた。
「・・・これでいいな」
そう言って、先生は携帯をバッグに戻した。
「でも・・・これから、どうするんですか? ヨリを戻す気は」
先生は僕の言葉を聞いて手を振った。
「それは、どうだろうな。アイツは今だって、電話もしてこないし、メールもない。まして、追いかけてもこない。
・・・わたしがいなくなって、厄介払いができたと思っているんじゃないか。そこまで露骨なことを考えてないとしても、わたしと別れた方が都合がよかったとは思ってるんじゃないか」
唇をゆがめて、先生はそう言った。
「そんな男は、こちらから願い下げだ。
それに、別れてやった方がアイツのためでもあるだろう。
どの道、その上司の娘とはもう深い仲なんだろうから、そう簡単に縁談を断れる状態じゃなさそうだしな」
「・・・なんか、結構冷静なんですね」
「そうでもないさ。腹は立つし、少々哀しい。ちょっと屈辱的でもあるな。
だが、それはそれとして、どうするかを考えないといけないだろう? 冷静とか、そういう性格の問題じゃないさ」
そう言って、先生はコーヒーを飲んだ。
「しかし・・・こうなると、わたしもフリーになってしまったわけだな」
苦笑して、先生は言った。
「どうする? この前に学校で言ったことだが。わたしと付き合う気はないか?」
「ちょ、ちょっと先生」
先生の言葉を聞いたとき、ゾク、とするような甘い感覚を覚えた。
といっても・・・先生と付き合うのが、マズいことくらいはわかる。
「お、お酒でも飲んでるんですか」
「失礼なことを言うな。わたしは昼間から飲まない」
「だったらなお悪いですよ。冗談はやめてください」
「わたしはこの手の冗談は言わない」
先生の目は据わっている。
「あのな、達也君」
先生は僕の名前を呼んだ。
「あの時も言っただろう? わたしは、キミに好感を持っている。
わたしはキミを凄く格好いいと思うし、優しいと思う。
今日だって、別の男と痴話げんかをして、店を飛び出したりしたわたしを追いかけてくれたじゃないか。あんな男より、ずっとずっといい男だと思うぞ。
正直わたしは、キミに参ってしまいそうだ」
「せ、センセイ、人が聞いていますって」
カフェのマスターは、何も聴こえていない振りをしているが、今のセリフで明らかに赤面している。・・・50男の赤面というのは、見ていてこちらが恥ずかしい。
2つ離れたテーブルの大学生の男二人も、向こうに座った商談をしているビジネスマン3人も、こちらの話を聴いていない振りをしているが、手が止まっているあたり、こちらの話をバッチリ聴いているのだ。
先生は僕の注意を聞いて、さっと左右を見回した。
当然、周囲は何も聞こえていない、という態度をとる。
しかし先生は一応周囲に配慮したのか、声を落とした。
「・・・達也君。
キミは、わたしのことがキライか? こんな年上の、しかも背の低い小さい女は好みじゃないか?
それならそれでいいんだ。
わたしとキミは、わたしが保健室の養護教諭だとしても、教師と生徒には変わりないわけだしな。
だけど、わたしはもう達也君のことが好きになってしまったようなんだ。
1週間前のあのときから、キミに少しずつ心惹かれる自分がいるんだよ。
わたしは、君が、好きだ。
・・・わたしの気持ちに、応えてはくれないのか?」
低い声で、さっきよりも小さく、先生は僕に語りかけた。
胸に手を当てて、切なげな瞳を潤ませて。
そんな先生の姿に、僕の胸は甘いもので一杯になっていった。
林理恵という女性のことで、頭の中が埋まっていく。
僕は、自分でもほとんど無意識に、首を縦に振っていた。
「・・・嬉しい」
気づいたときには、先生が両手を胸の前で組んで、本当に嬉しそうに微笑んでいた。
なにやら、2つ離れたテーブルの大学生たちも、ビジネスマンも、カフェのマスターまでも立ち上がって拍手をしている。
拍手の中で、先生はみんなに手を振り、僕は訳がわからないまま照れてお辞儀をした。
さすがにその場に長居はできない。
それからしばらくしてすぐに、僕と先生はそのカフェから出た。
いまだに僕らを祝福している、カフェの客とマスターを残して。
続編、わたしと達也君はこちら。
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