潤は、幼なじみの晴香の後押しもあって、ようやく想い人である春川さんに告白することができた。
「僕、春川さんが好きなんだ。つきあってほしい」
その告白は、よく告白を受ける春川さんからみても、ストレートで心地よいものだった。
でも、春川さんは、潤と視線を合わせ、それからそらせて。
「ごめんね。わたし、付き合ってる人がいるの。その人が好きだから、あなたとはつきあえない」
春川さんの答えは、NOだった。
「そっか。・・・聞いてくれて、アリガト。じゃあ」
潤はそう言った。その声には寂しさも含まれていたが、それを聞く春川さんに不快なほどのものではない。
「ええ。じゃあ・・・さよなら」
春川さんはそう言って、潤を送り出した。
晴香は落ち着かないでいた。
潤の告白の結果がどうなるのか、気がかりだったのだ。
晴香は潤の教室で、潤の帰りを待っていた。
それほど待っていたわけではないが、教室に生徒がいなくなった頃になって、ようやく潤が帰ってきた。
晴香は潤の姿を見て、告白の結果を聞くまでもないと思った。
足元は若干ふらついている。
顔も青ざめている。
強いショックを受けた・・・それも、悪い方向で。
間違いなく、潤は春川さんに振られたようだった。
潤はぼんやりしている。
目は開いているが、目の前にいる晴香のことさえまともに認識しているとは言い難いようだ。
晴香は自分から潤に声をかけた。
「大丈夫?」
晴香は潤の顔を覗き込んで、そう訊いた。
「・・・うん、大丈夫」
一拍遅れて、潤が応える。
大丈夫という声に、力がない。
危ないな、と晴香は思った。
潤は少し虚ろな感じで、哀しく笑った。
「・・・春川さんに彼氏がいるって、ちゃんとハルカに聞いてたのにな。
なんか、断られて、すごいショックだった」
そう言って、口の半分だけ微笑んでみせる。
晴香がその顔を見ていられないような、そんな笑い方だった。
「ちょっと、ジュン、大丈夫なの本当に」
晴香はその肩に手を置いて、もう一度尋ねる。
「大丈夫だって。ちょっと・・・気分が悪いだけだから」
「立ってて気分が悪いなんて・・・、重症じゃないの」
晴香は潤を椅子に座らせる。
潤は逆らうことなく晴香に従った。
はあ、と苦しげに潤は呻いた。
「僕らしくもないことするからかな。
なんか、告白のときにね。思い切って直接彼女にストレートに好きだって言ったりして。
無理して見栄張っちゃってさ。
春川さんに、好きな人が別にいるからって言われて・・・。
それで、断られたとき、すごく平気な振りをして。
それから、春川さんが見えなくなるまでは全然平気だったんだけど、なんか彼女が目の前にいなくなった途端、急にフラフラしてきて」
潤は弱々しい声で晴香に事情を説明した。
晴香としては、告白したくらいでそんなことになるなんて情けない、という気持ちもないわけではない。
だが、内気な潤がストレートに告白して、玉砕してきたとなると、まあこんな風になってしまうのも無理はないかもしれないな、とも思った。
・・・何より、わたしは恋を知らない。
こんな風になるまで、恋をしたことのある潤のことを、情けないとかそんな風に思う資格はないんだから。
何も知らないのに、情けないとか思うなんて、わたしも嫌な女だな。
晴香はそんな思いを胸に抱えながら、潤には心配した顔をしていた。
潤は、また話し始める。
「カッコつけるとか、あんまり向いてないのかもね。・・・情けないな、僕は」
晴香はそれを聞いて、自分の心を見抜かれたようで恥ずかしい気分になる。
それを誤魔化すように、晴香はわざと明るく言った。
「いいじゃない。彼女の前では、ちゃんとカッコつけきれたんでしょ」
そう言って、潤を慰めようとした。
それに対して、潤は首を振った。
そして、こう呟いた。
「・・・こんな格好、いくらハルカでも、見せたくなかった」
そんな潤の呟きを聞いたとき、晴香はハッとした。
ジュンが情けないな、と思っていたのだが、いざジュンの方から『こんな情けないところを晴香に見られたくなかった』と言われたとき、ドキリとしたのだ。
ジュンにひとりでいろいろ抱え込んでほしくない。
それくらいだったら、どんなに情けなくてもいいから、わたしに話してほしい。
・・・ああ、そうだ。
わたしは、ジュンが経験するどんな情けないようなことでも、それをけなしたりするんじゃなくて、ジュンとそれを分け合っていきたいんだ。
「バカね」
晴香は優しい声で言った。
「わたしにまでカッコつけてどうするのよ。そんなことしなくてもいいのよ。
だいたい、ジュンが無理して頑張ってきたことくらいは、みればわかるんだから。
わたしにくらい、もう少し甘えてよ・・・」
潤は、それを聞いて顔を上げた。
晴香の顔を、潤はじっと見つめていた。
それから、晴香は神妙な顔になった。
そう。自分は潤に謝っておくことがあった。
「ゴメンね、ジュン」
「え?」
「潤に、春川さんに告白した方がいいみたいなこと言って。
わたしが、潤に、春川さんに告白するよう仕向けたみたいなものでしょ。
振られるって、わかってたみたいなものなのに」
潤は、首を振った。
「別に、ハルカのせいじゃないよ。
これは、僕が自分で決めたことだし。ちゃんと告白できたことはよかったと思ってるし、それはハルカのおかげだから。
ホラ、そんな顔しないで」
晴香の顔は、さっきから泣きそうな顔だった。
「別に、・・・ヘンな顔なんかしてないわよ・・・」
晴香はそう言ったが、潤の目には、晴香の顔が泣きそうな顔にしか見えない。
潤は、じっと晴香を見つめていた。
ハルカは、今にも泣き出しそうな女の顔をしていた。
ハルカの目には涙がたまっていた。
嬉しそうな目ではない。哀しい目をしていた。
・・・自分のために、哀しい目をしているんだ。潤はそう理解せざるを得なかった。
ハルカの顔から目をそらすと、ハルカの全身が潤の目に映った。
ハルカは、華奢な体つきをしていた。
昔はあんまり変わらなかったのに、今では自分は筋肉質になり、彼女は柔らかく、たおやかで折れそうな身体をしている。
ハルカは、あどけない童女の姿から、美しい少女になっていた。
顔も、目も、体つきも、何もかもが自分の知っているハルカとは違う。自分のために哀しい顔をしているハルカは、かわいらしくて、綺麗だった。
なぜか、こんなときにハルカの制服姿が気になる。
ブラウスは白く、スカートは黒くしなやかな素材だ。・・・今のハルカの雰囲気によく合う、清楚で綺麗な・・・。
あれ。
どうしてこんなに、ドキドキしているんだろう。
ハルカをみていると、なんか、脈が速くなって、焦っているみたいな気分になってくる・・・。
こんなの、ヘンだ。
でも、ハルカが可愛い。ハルカが綺麗だ。
ハルカって、ハルカって・・・こんなに・・・ドキドキするんだ?
でも、もう。
今は、そんなこと、どうだっていい。
「ハルカ」
潤はイスから立ち上がった。
そのまま、晴香を腕の中に抱きしめる。
潤にとって、それは一種の衝動だった。
晴香を抱きしめて、晴香の柔らかな身体にドキリとする。
制服越しだというのに、その感触はなんて心地よいものか。
それに、この快い香りはなんだろう?
このとき潤には、ひょっとすると晴香が嫌がっているかもしれないとか、そんなことは全然思い浮かばなった。
ただ、晴香の身体を腕に抱いている感触が潤の頭の中に響いていた。
晴香は突然抱きしめられて、頭がすぐには回らなかった。
生まれてはじめての、男性からの抱擁。
本当なら、逃げたり嫌がったりするべきなのかもしれない。
なのに、晴香は逃げなかった。
それどころか、反射的に潤の背中に腕を回し、自分から潤を受け入れた。
自分とは違い、硬く引き締まった男の身体。
背中に回された腕は少し痛いくらいだが、何も気にはならない。
自分も同じくらい、潤を抱きしめ返す。
晴香が潤を抱きしめ返したのも、一種の衝動だったのだろう。
高揚した気分のまま、晴香は目を閉じて上を向いた。
何か、こうした方がいい気がしたから。それだけの理由だ。
だけど腕の中でそんなことをすれば、自ずから別の意味になる。
いや、ひょっとしたら晴香も無意識のうちにそれを望んだのだろう。
潤も晴香の赤い唇に吸い寄せられるように、自分の唇を重ねていった。
お互い、初めてのキス。
何も考えられず、ただ夢中だった。
潤は晴香の柔らかな唇を。
晴香は潤の少し固い唇を。
軽く重ね、そのまま10秒ほど二人は動かないでいた。
何の前準備もない、勢いでしてしまったファーストキス。
だけど、二人は夢中でキスをしていた。
二人が唇を離して、ゆっくりと身体を離したとき、晴香の頭はまだ薄雲がかかったような、フワフワした状態だった。
その場で、もう一度潤に抱きしめられて、キスをされたり乳房を触られたりしても、きっと晴香はそのまま許していただろう。
だけど、潤はさすがにそこまで冷静ではなかった。
晴香にキスをし終わった頃から、思い出していた。
「自分には彼氏がいる」、と晴香が言っていたことを。
自分は、晴香に彼氏を裏切らせてしまい、晴香の彼氏に申し訳ないことをしたということを。
絶望的な声で、潤は晴香に告げた。
「ゴメン・・・、晴香」
その一言で、晴香の頭は急速に冷えていく。
「ホントにゴメン・・・彼氏がいるのに・・・ゴメン」
その言葉を聞いて、今度は晴香の方が青い顔になる。
だって、実際には晴香に彼氏なんて、いたことがないのだから。
「あ、あの・・・ち」
だけど、その声も、潤の暗い声に押しつぶされる。
「謝って許されることじゃないけど・・・ゴメン」
そう言って、潤は慌ててカバンを掴み、外へと走っていった。
「待って、ジュンっ」
そう言っても、頭が冷静になったのが早い潤の方が動きは素早かった。
あっという間に去っていく潤の足音に、晴香は追いかけるのを諦めた。
「・・・わたし、馬鹿だ」
俯いて、目を閉じながら、晴香は呟いた。
その晩、潤は悩みこんでしまっていた。いや、正確には教室を飛び出したときからか。
つまり、どうしてあんなことをしてしまったのだろうか、ということである。
あの時、ハルカがとても女の子っぽく見えた。
そのままムチャクチャにしてしまいたいほどに。
あの一瞬の衝動のまま行けば、抱きしめたりキスしたりでは済まなかったはずだ。
ハルカを押し倒して、柔らかそうな胸に触れて、制服のブラウスを脱がせて、ブラジャーを取って・・・。
スカートとパンツも脱がせて。
ブラもパンツも、小さい頃のようなものではなくて、大人の女性が身につけるものに違いない。
ハルカも恥ずかしそうにするけど、決して嫌がっていなくて・・・僕は彼女に覆いかぶさって、そして身体をつなげて、最後に彼女と・・・。
・・・いけない。何の想像をしているんだ。
ハルカには、彼氏がいるんだ。
抱きしめるだけでもいけないのに、キスしてしまうなんて、ハルカにとんでもないことをしてしまった。
・・・僕がハルカの彼氏で、他に誰か別のヤツにそんなことをされたら?
ハルカの身体を服越しにでも抱きしめたヤツがいるなんて。
ハルカのあの唇を吸ったヤツがいるなんて。
そんなの、許せないかもしれない。
よく考えたら、僕にとっては女の子を抱きしめるのは初めてだったし、あれが僕のファーストキスだった。
ハルカにとっては、絶対に初めてじゃないんだよな、アレ。
まあ、ハルカかわいいし、綺麗だし、初めて抱きしめたりキスしたりしたのが彼女だっていうのはよかったかな。
・・・ああ、僕は何考えてるんだ。だから、彼氏がいるハルカにそんなことをしたんだから、反省しないといけないんだろう?
ハルカにキスしたこととかばっかり考えてたら、そこらのスケベでケーハクなヤツらと変わんないじゃないか。なんでこんなこと、考えてるんだ!!
やっぱり僕って、ダメなヤツなんだろうか・・・。
でも、ハルカの身体って、細くて柔らかかったよな。いい匂いがしたし。
あんなハルカを彼女にしてるヤツって、どんなヤツなんだろ・・・。
って、そうじゃなくって! ああ・・・もうっ!
結局、潤の思考は、ハルカに申し訳ないというところから、初めてハルカを抱きしめてキスをしたという興奮にとって変わってしまうのだ。そして、そのことに気づいて、余計情けなくなる、というような悪循環に陥っていた。
ちなみに、今日、生まれて初めて失恋したということについては、潤はほとんど悩まなかった。
春川さんへの想いが淡い憧れだったから、というわけではない。潤は春川さんに、それなりに、かなり心惹かれていた。
だが、その想いは、失恋でズタズタに引き裂かれた。
そのときに潤の前に現われた、松田晴香という少女は、春川さんを遠くへ押し流してしまうほどの強烈なものを持っていた。
潤はその日、春川さんのことを一度も思い出さなかった。その代わり、晴香への想いと、晴香にしてしまったことへの罪の重さで悩むことになってしまったのである。
まあ・・・皮肉な話かもしれないが、ハルカの慰め方は、失恋の悲しみを慰めるという意味では100%功を奏したといえるかもしれない。
一方、その晩、晴香の方も悩んでいた。
・・・自分の見栄っ張りを、これほど恨めしく思ったことはない。
やっぱり、親友のいうとおり、早めに彼氏がいないって言っておくべきだった。
抱きしめられたとき、わたし、ジュンの身体に抱きついてた。
それに、自分の方から、キスまでねだっちゃって・・・。
抱きしめられたのは初めてだ。ファーストキスもアイツにあげちゃった。
それどころか、あの時、・・・もっと先まで行ってほしいなんて思ってた。
わたしがフリーだって知ってたら、アイツあそこから先に踏み込んできたのかな。まあ、アイツのことだから、やっぱりあそこで止まってたかもしれないけど。万が一、胸を触られたりすることがあっても・・・さすがに最後まではしなかったと思う。
ジュンはそういうヤツだ。わたしが怖がったりしたら、絶対にそこで立ち止まってくれたと思う。
そっか。そういうヤツだってわかってたから、抱きしめられてもキスされてもよかった・・・いや、抱きしめてもらいたかったんだ。キスされたかったんだ。
キスしても許してあげる、じゃない。キスしてほしかったんだ。自分でキスをしてほしいって、アイツにおねだりしたのはわたしなんだから。
だったら・・・なぜそんな気分になったんだろう。
あの腕で、胸で抱きしめられて、固めの唇が自分の唇に重なって。
ファーストキスをあげて、・・・ひょっとして、わたし、ジュンにファーストキスをあげたことを、たまらなく嬉しいと思ってる?
なんでここまで、嬉しいと思えるんだろう・・・?
晴香の方は、悩んでいるというよりは嬉しがっているといった方がいいかもしれない。
晴香だって、どうして彼氏がいるなんて大嘘ついたんだろうと深刻に悩んでもいいはずなのだ。だが、どっちかといえば、晴香はキスや抱擁の瞬間を思い返したり、どうしてそういう風に思い返してみることが嬉しいと思えるのかを考えたりしているばかりで、全然深刻に悩んでいないのだ。
そしてあろうことか、眠る頃には「本当は彼氏がいない」ということを潤に告げなければならないことさえすっかり忘れて、妙に幸せそうな寝顔でベッドに転がっていたのである。
一方の潤の方は、晴香とのキスを思い出しながらも何とかその色香の泥沼から復活し、どうやって晴香とその彼氏に謝ろうか、とその方策を考えたりしていた。
たとえ晴香に彼氏がいたとしても自分が晴香にキスしたなんて黙っていれば分からないだろうに、というような発想は潤にはない。
とりあえず状況を説明して、それからいざとなったら殴られるのを覚悟したりとか、土下座しないといけないかもしれない、などと真剣に考えていたのである。
このあたり、この二人の性格の違いが出ているのかもしれない。
続編、キスの翌日はこちら。
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