わたしは学校帰りに山崎さんの家に寄っていた。何でも、わたしに話したいことがあるのだという。相談事のようだった。
わたしは人から相談を受けて、適切なアドバイスをできるようなタイプの人間ではない。最近でこそ社交的になってきたと思えるが、一時期は、一日中誰とも話をしないで済ませていたこともあったほどだ。
とはいえ、山崎さんは友達だった。そういう理由で断るのもどうかと思い、わたしは相談に乗ることにしたのだった。
それにしても、わたしが誰かから相談を受けるようになるとは。転校当初なら、考えられないことだった。
山崎家には、いま、わたしと山崎さんの二人だけ。
テーブルには山崎さんが淹れてくれた二人分のコーヒーと、それほど高くはなさそうだけれど、美味しそうなよもぎ色のお饅頭。
普段は紅茶を飲んでいるわたしだが、コーヒーも嫌いではない。なにより、この家のコーヒーはインスタントでもコーヒー・メーカーでもなく、手で淹れるドリップだ。山崎さんの手つきも慣れたもの。美味しいコーヒーが期待できそうだった。
「それで、話したいこと、なんだけど・・・」
山崎さんは言いにくそうにして、左右をキョロキョロと見回した。まるで、人が聞いていないか確かめるように。
「ん。どういう感じの話なの?」
わたしはコーヒーの快い苦味と酸味を味わいながら(やはり、美味しいコーヒーだった)、つとめて彼女の緊張をほぐすようにして話しかけた。
「んー、あの、ね。その前に、確認してもいい?」
「何を?」
「今から言うことを、人に話さないでほしいの」
「もちろんよ」
わたしは頷いた。わざわざ家にまで来て話すことだ。人に聞かれたら困ることだと思っていた。
「あと、
と、山崎さんは顔を紅くした。
「谷崎君と、・・・深い仲に、なっちゃってる?」
彼女のいう『深い仲』というのが何を指しているのか。この場合は、彼女の顔を見ればよくわかった。
「あ、ええ・・・質問に質問で返すようだけど、それはこれから話すことと、関係、あるのかしら?」
「ええ、まあ」
彼女は紅い顔のまま頷いた。
関係があるといわれてはしょうがない。渋々だったが、わたしは、
「・・・なってる、わよ」
と返事をした。
それを聞いて、彼女は少しホッとしたようだった。
「あのね。話したいことっていうのは、微妙なことなの」
「微妙?」
「そう。ひょっとしたら、神足さんからも引かれちゃいそうな話で」
それはまた、本当に微妙な話だ。
「だから、その、言い出しにくいんだけど・・・」
山崎さんは、もじもじとしている。
正直、ここまで来てそういう風にいうのは、若干卑怯な気がしなくもない。
だけど、山崎さんが困ってしまってこういう方法に出たんだろうということはわかった。
「わかった。ちゃんと聞くわ」
わたしがそう言うと、彼女はコクリと頷いた。
「それで、話っていうのは?」
わたしが水を向けると、山崎さんは覚悟を決めて話し始めた。
「一言で言うと、二股なの」
「え・・・二股って、あの二股?」
「そう、その二股」
傍から聞いていると意味が通りにくい会話だ。要は、ある異性と付き合いながら、別の異性とも付き合うことを意味する二股か、ということだ。
「・・・二股、かけられちゃったの?」
「・・・・・・」
山崎さんは、しばらく黙っていた。
「・・・えっと、じゃあ、二股、かけちゃった?」
「・・・・・・」
山崎さんは十分な時間黙っていたが、やがてコクリと頷いた。
これは、かなりビックリだった。
クラスでも真面目そうな彼女が、二股なんて。
「そ、それで・・・えっと、どういう、こと、なの?」
話を聞くわたしの方も若干動揺していたが、とりあえず事情を聞く。
「わたしが、もともと彼氏と付き合っているのは、知ってるわよね」
「聞いた話だと、高校入試のときに家庭教師をしてくれていた先生だってことだったわね」
「ええ。年上の大学生で、今はカレ、地元に帰ってるんだけど」
「ええと、それで、その人のほかに?」
「そう、カレの他に、ちょっと・・・違う人と」
そこで山崎さんは、顔を少し背ける。
若干妙な間が空いた。これで、山崎さんと『違う人』との間に何があったのか、大体分かろうというものだ。
「違う人と・・・なのね?」
わたしがそう言うと、彼女は顔を紅くしながらも頷いた。
「わたしが吹奏楽やってるのは知ってるわよね。それで、夏休みの合宿があって、後輩の男の子に誘われて」
「それで、合宿中に・・・なの?」
「さ、さすがに合宿中はそこまで行かなかったんだけど。でも、デートに誘われちゃって、その子が凄く真剣で、・・・カレも地元に帰ってから、あんまり連絡よこす回数が減ってたし、つい」
「つい、そういうことに」
「そう。つい、そういうことになっちゃったの。ただ・・・そういうことになった後になってから、またカレと会うことがあったりしたの。
だから、カレにも、その後輩の子にも、悪いことしちゃったなって思ったりして。どうしたらいいのかわからなくて」
「彼氏さんの方は、そのこと、知ってるの?」
「まさか。気づいていないと思う」
「後輩の男の子の方は」
「それが、わたしには彼氏がいるのよって言ったんだけど、どうしてもって何度も言われちゃって」
「じゃあ、後輩の子の方は知ってたのね」
「ええ。だから、一度だけだって、そのつもりで」
はあ、と山崎さんはため息をついた。
「ええと、じゃあ、山崎さんはその、カレに秘密を作っちゃったってことが後ろめたいから、わたしに相談したってことなの?」
「いいえ、そうじゃないの」
はあ、と山崎さんはまたため息をつく。
「たしかに後輩の子とは一度きりのつもりだったし、後輩の子の方もそれきりにしてくれそうなんだけど。でも、後輩の子は、毎日会うでしょ。その度に、じっと見られるの。それを感じると、なんだか、全然会えないカレよりも、後輩の子と付き合った方がいいんじゃないかって思えてきて」
「つまり、後輩の子に、ほだされてきたってこと?」
「そういうことに、なるのかしら」
「それは困ったわね」
なるほど。カレも好きだが、後輩の男の子も好きになっちゃったわけか。
「あと、コレを言うのは恥ずかしいんだけど・・・でも、神足さんだったら、ちゃんと聞いてくれそうから」
「え、まだ何かあるの?」
「ええ、後輩の男の子のことなんだけど。
わたしより年下だから、カレよりちょっと不器用だけど、性格はすごく優しいの。
あと、それに、・・・すごく、上手だったの」
『上手』のあたりで、山崎さんの顔が真っ赤になった。
「後輩の子は、初めてだって言ってたんだけど、じっさい、初めはすごく手間取っててわたしがリードしなくちゃいけなかったから、本当だと思うんだけど。でも、途中からはとてもそんな風には思えなくて。わたし、あんな風になったの、初めてで」
はあ、と山崎さんは別の意味でため息をついた。
ええと。何て言えばいいのかしら?
「後輩の子に抱かれた後に、カレとも一度機会があったんだけど、でも、・・・。
後輩の子が気になるのは、一番の理由は、その子が凄く真剣だからなんだけど。でも、忘れられないっていうのもあって」
山崎さんは、恥ずかしそうにしている。
「でも、そういう理由で今のカレと別れて後輩の子と付き合ったりするのって、すごくダメな気がするでしょ」
「んー・・・、まあ」
このあたりは、人によって意見が変わると思うけれど、山崎さんがそう思うんならそうだろう。
わたしの場合は・・・、博也君しか知らないので、何ともいえない。
いろんな人の話を聞く限り、博也君が上手なのか、『相性』がいいのか、わたしはそういう面では人よりも幸せらしいのだが。
「神足さんは、どう思う?」
「どう思うって、言われても」
「カレと、後輩の子と。どっちがいいと思う?」
「・・・話を聞く限り、山崎さんはもう後輩の子と付き合うつもりなんじゃないかって思えるんだけど。きっと、後輩の子のことが、もう好きなんじゃないかな? ただ、ちゃんと好きになる理由とか、付き合う理由がうまく見つけられないだけで」
「そういう風に、思う?」
「まあ、山崎さんの顔とか喋り方とか聞いてると、前のカレよりも後輩の子に惹かれてるみたいに感じたかしら」
「でも、・・・その、」
山崎さんは、少し顔を横に背ける。
「まあ、後輩の子に惹かれた理由がそういうことだったっていうのを気にしてるんなら、そういうのもアリだって割り切った方がいいと思うけど。
そりゃ、付き合うってそういうことばっかりするわけじゃないけど、でも、そういうのも・・・全然無視していいことじゃないって思うし。
それに、遠距離恋愛してるうちに、他に好きな人ができるのだって、悪いことじゃないと思うし」
「そ、そう・・・?」
「ええ」
遠距離恋愛なんてしたことがないので、いい加減な意見なのだが。
それに、よりエッチが上手な人に惹かれるというのも、・・・経験がないので、わからない。
まあ、博也君と触れ合うのがこんなに上手くいっていないなら、彼への愛情が、ほんの少し、減るかもしれないというのは認めるけれど。ここで嘘をついてもしょうがない。
「・・・そうね。なんか、話してるうちに、だんだんハッキリしてきたみたい」
「そう」
「わたし、・・・カレには、好きな人ができたって、言うことにするわ」
山崎さんはそう言って、少し寂しそうな、でもスッキリとした迷いのない顔になった。
「カレは、初恋の人で、初めて付き合った人で、初デートの人で、ファースト・キスの相手で、初めての相手、なんだけど・・・でも、初めて別れる人になっちゃったわね。
このままケッコンまでいっちゃうのかな、なんて思ってたこともあるし、カレもそう思ってたと思うけど。
でも・・・しょうがない、わね」
「そう、ね・・・」
わたしはふと、博也君とのことを思った。
わたしたちは、どうなるんだろう。これから先、別れてしまうことがあるのだろうか。それとも・・・結婚して、彼の子供を産んで、一緒に育てて、おばあさんになるまで一緒にいるのだろうか。
山崎さんは、カレと結婚するつもりだったと言っていた。そんな彼女でさえ、別の男性に心惹かれてしまうようになるのだ。
博也君が別の女性に心惹かれてしまうことは、まあ、あるのかもしれない。哀しいし、それに、恐ろしくて、嫌な想像だけど。わたしはそのとき、彼に酷いことを言ってしまいそうな気がする。
ただ、それ以上に恐ろしいことがある。
わたしがこの先、博也君以外の男性に惹かれてしまうことは、あるのだろうか。
博也君が別の女性と結ばれるかもしれないことよりも、わたしは自分の心が変わるかもしれないことの方が恐ろしかった。
わたしは、山崎さんの家を出た後、とぼとぼと家に向かって歩いていた。
秋の日は、つるべ落とし。
早くも紅く染まった空が、不吉なものに思えた。
「あれ、文子さん? 先に帰ったんじゃなかったの?」
ハッと後ろを振り向くと、私服でなにやら荷物を持って歩く博也君の姿が見えた。
「博也君・・・どうしてここに?」
「今日は稽古の日だったんだけど、突然休みになってね」
「稽古・・・ああ、剣道の?」
「うん」
博也君は、高校の部活では活動していないが、町の道場で剣道をしているらしい。
ウチの高校にも剣道部はあるのだが、なんでもほとんど稽古をしていない上に、顧問が剣道経験者ではないという状態なのだそうだ。なので、籍だけ置いて稽古は町の道場でやっているとか。
「そんなことより、どうしたの? 凄く、怖い顔してたけど」
「え・・・」
「何か、嫌なことでもあった?」
そう言われると、急に彼に甘えたくなってしまう。
「んー、・・・まあね、でも、内緒」
山崎さんとの相談のことは、他言無用だし。それに、簡単に彼に甘えていると、自分がだめになってしまう。
「文子さんは、無理しそうだからなあ。早めに、言ってよ?」
博也君は、少し心配そうに微笑みながら、そう言った。
わたしはそれを見て、少しずつ心が温かくなっていくのを感じた。
「そうね、気をつけるわ。
じゃあ、心配をしてくれた親切な博也君に、部屋でお茶でもご馳走しようかしら?」
「そう、だね。じゃあ、お言葉に甘えて」
彼が手を伸ばした。わたしはその手をとった。
博也君とわたしは、一緒に手を繋いで部屋まで向かった。
少なくとも、この手をとって一緒に歩いているうちは大丈夫。
怖がっていても、しょうがない。
部屋に帰ったら、・・・おねだりして、思い切り抱きしめてもらおう。わたしには、似合わないかもしれないけれど。
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